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zoom RSS テーマ「源氏」のブログ記事

みんなの「源氏」ブログ

タイトル 日 時
源晴氏公墓所
千葉県野田市関宿台町には、 観照山花林院宗英寺とう曹洞宗の寺院があります。 慶長元年(1596年)に、徳川家康の異父弟の久松(松平)康元によって創建されたと伝えられています。 久松康元には家康と同母の弟が二人おり、三人ともに松平姓を許されています。 ...続きを見る

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2017/05/21 09:47
関宿城
千葉県野田市関宿三軒家には、かつて関宿城が築かれていました。 室町期に、鎌倉公方の家臣であった梁田氏によって築かれたのが始まりです。 一時期、古河公方足利義氏の居城となりました。 江戸期には、関宿藩の藩庁となりました。 関宿藩は、何回か大名の転封があり、譜代大名数家の居城となりました。 江戸期の関宿城には、江戸城の富士見櫓を模した天守状の櫓が建てられました。 ...続きを見る

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2017/05/03 13:58
群馬旅行
高崎市と安中市に行ってきました。 目的は、「里見の郷再発見伝」の第二号「里見氏と長野氏」を購入することと、源義国の供養塔を撮影することでした。 途中で寄った埼玉県深谷市内の道の駅で、深谷市のイメージキャラクター「ふっかちゃん」に一目惚れして、小さいぬいぐるみを衝動買いしてしまいました。 ついでに勤め先の人達へのお土産も一緒に購入。 「群馬に行ってくる」と言ってきたのですが、お土産は埼玉の物になってしまいました。 群馬で無事目的を果たし、自分の車に向かう途中でミヤマクワガタのメスが地面を... ...続きを見る

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2014/08/14 23:45
毎度おなじみの衝動買い
ネットで「足利尊氏と関東」という本を見つけて衝動買い。 ...続きを見る

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2014/06/12 18:12
渋川市&太田市観光
群馬県渋川市&太田市に史跡巡りに行ってきました。 渋川市は、清和源氏足利氏流の渋川氏の発祥の地です。 最初に渋川氏が創建したという渋川八幡宮に行きました。 渋川八幡宮に行くのはついでで、渋川市内の宮田不動尊に行くのが目的でした。 宮田不動尊には、清和源氏新田氏流の上野里見氏の里見氏義が作らせたという石造不動明王立像があります。 年に1回(1月28日)だけしか石像を観る機会はないのですが、開帳の日に都合が合うかはわからないので、石像が安置してある寺院だけでも見たいと思って行ってしまいまし... ...続きを見る

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2013/08/14 23:58
叶大明神
神奈川県横須賀市東浦賀には、(東)叶神社が鎮座しています。 祭神は、誉田別命です。 養和元年(1181年)に、京都神護寺の僧文覚が石清水八幡宮を勧請して、源氏の再興を祈願したのが始まりと伝えられています。 文治2年(1186年)に、源頼朝が源氏再興成就の意によって社号を改め「叶大明神」と尊称されるようになりました。 ...続きを見る

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2013/02/01 21:10
防犯ブザー
安房里見氏所縁の寺院を訪ねてきたのですが、写真を撮ろうと本堂に近づいていくと、ものすごい音が・・・。 どうやら防犯ブザーのセンサーがあったようです。 普段は無人の寺院らしく、賽銭や仏像泥棒の対策なのでしょう。 センサーが反応しない距離まで戻って、本堂の外観を撮影して帰ってきました。 ...続きを見る

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2013/01/24 15:15
迷っている間に・・・
amazonで足利尊氏関係の本でなかなか興味をそそる物を発見。 値段が少し微妙だったので数日迷っていたら、「選択した出品者から入手できなくなりました」の文字が・・・。 今年の10月に発売された本らしいので、また入荷するかもしれないし、地元の書店に注文しても良いかなと思いましたが、少しがっかりです。 ...続きを見る

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2012/11/30 23:36
謎の大膳
千葉県南房総市千倉町川口には、龍光山高徳院という真言宗智山派の寺院があります。 里見義堯が当主の時代に目代であった正木大膳高法(まさきだいぜんたかのり)が、天文13年に小田喜城に出陣の折に、里見氏より授かった虚空蔵菩薩像に万一のことがあってはならないと高徳院に預けたという古文書が伝わっているそうです。 手持ちの本からは、正木大膳を名乗った人物に「高法」なる人物は発見できませんでしたが、天文13年の小田喜城出陣に正木大膳時茂の名前を発見できました。 ...続きを見る

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2012/11/28 23:10
NHK大河ドラマ平清盛
いよいよ源頼朝が平家打倒の挙兵をする回となりました。 「頼朝の出番も多くなってくるはず」と期待しております。 1年という長い間観てくると、清盛に勧請移入してしまいますが、自分の中ではやはり頼朝を贔屓している部分の方が強いです。 来週からは、清盛ではなく、頼朝が主役のつもりで観てしまいそうです。 ...続きを見る

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2012/11/25 23:46
そろそろ行きたいのですが・・・
9月の頭に群馬県高崎市の源氏一族の史跡巡りをして以来、もうすぐ3ヶ月経ちます。 そろそろまた遠出がしたくなってきました。 しかし、このところ給料が減っていて余裕がないし、なかなか連休も取れません。 基本は日帰り旅行ですが、帰った後に1日のんびりしていたいので、連休が欲しいです。 ...続きを見る

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2012/11/24 22:23
いつかやりたいこと
足利氏や里見氏等の源氏一族に関係する史跡の保存に関する仕事がしたいと漠然と思います。 しかし、なかなかそういう仕事に就ける機会はありません。 いつかはやってみたいのですが、夢のまま終わるのでしょうね。 ...続きを見る

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2012/11/21 22:35
三浦氏が幟を立てた山
神奈川県横須賀市久里浜の住吉神社の裏山は、治承4年(1180年)に、三浦義澄が幟を立てたと伝わる山があります。 義澄は、衣笠城落城の折に船で安房国に渡り、源頼朝を迎えました。 ...続きを見る

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2012/10/30 21:01
通りすがりに見つけた神社 28
神奈川県横須賀市久里浜には、住吉神社が鎮座しています。 祭神は、中筒男命です。 創建年代は、約1000年前と伝えられています。 かつては栗濱大明神と称され、三浦氏の水軍の船霊として信仰されました。 治承4年(1180年)に衣笠城落城前夜に、三浦義澄が一族郎党を引き連れ祈願し、源頼朝と共に安房国に渡ったと伝えられています。 寿永元年1182年)に、源頼朝の嫡男頼家誕生時に佐原十郎義連を使者として御馬を奉納したとも伝えられています。 ...続きを見る

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2012/10/29 23:23
源慶喜公誕生日
10月28日は、江戸幕府第十五代将軍徳川慶喜の誕生日です。 慶喜は、天保8年9月29日(1837年10月28日)に御三家水戸藩第九代藩主徳川斉昭の七男として生まれました。 弘化4年9月1日(1847年10月9日)に御三卿一橋家の養子となり、慶応2年8月10日(1866年9月28日)に徳川宗家を相続しました。 宗家相続後しばらくは征夷大将軍に就くことを拒みましたが、慶応2年12月5日(1867年1月10日)に征夷大将軍宣下を受けました。 ...続きを見る

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2012/10/28 23:00
通りすがりに見つけたお寺 7
神奈川県鎌倉市大船には粟船山常楽寺という臨済宗建長寺派の寺院があります。 開山は退耕行勇で、開基は北条泰時です。 もとは粟船御堂と呼ばれ、泰時が嘉禎3年(1237年)に妻の母の供養のために創建しました。 本尊は阿弥陀三尊です。 源頼朝の長女大姫の許嫁で人質でもあった木曽義高の墓と伝わる供養塔があります。 義高の供養塔の近くに大姫または泰時の娘の墓と伝わる供養塔がありますが詳細はわかりません。 「粟船山常楽寺略記」では大姫の墓と書かれ、「鎌倉誌」では泰時の娘の墓と書かれています。 ... ...続きを見る

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2012/10/23 21:08
夢窓疎石
10月20日は、臨済宗の僧侶の夢窓礎石の命日です。 父は佐々木朝綱という武士で、近江源氏の一族だと考えられています。 幼少期に出家し、真言宗や天台宗を学んだ後に禅宗を学びました。 時の天下人との親交深く、後醍醐天皇や足利尊氏も帰依していました。 歴代天皇から7度に渡って国師号を賜りました。 庭園の設計でも有名です。 正平6年/北朝歴:観応2年9月30日(1351年10月20日)に76才で死去しました。 ...続きを見る

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2012/10/20 23:21
第31回南総里見まつり
ふと気がつけば、「南総里見まつり」が終わっていました。 千葉県館山市で行われる安房里見氏所縁の祭典で、史実の里見氏と「南総里見八犬伝」が混合されたお祭りです。 今年は、10月13日と14日に行われました。 両日とも仕事でした。 ここ数年見物に行っていないので、来年こそは行きたいものです。 どうでもいいことですが、ずっと「南総里見祭り」だと思っていたのですが、「祭り」ではなく「まつり」だと本日気がつきました。 ...続きを見る

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2012/10/16 23:26
鎌倉から引っ越してきたお寺 1
神奈川県三浦郡葉山町上山口には、不捨山摂取院新善光寺という浄土宗の寺院があります。 治承3年(1179年)に信濃国の善光寺が火災で焼失し、再建はなかなか進みませんでした。 源頼朝は、文治3年(1187年)に信濃国の御家人に善光寺の再建を命じました。 頼朝自らも建久8年(1197年)に善光寺を参詣し、その折に善光寺如来のご分身を勧請し、北条時政が鎌倉名越の山荘に祀りました。 時政の孫の名越朝時によって名越の地に堂宇が造営され、新善光寺と名付けられました。 15世紀中頃、蜜道和尚によって現... ...続きを見る

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2012/10/12 22:49
仁右衛門島
とある場所にて、千葉県鴨川市にある観光名所「仁右衛門島」のパンフレットをいただきました。 ここは源頼朝が一時身を隠した場所で、その時に島の当主の仁右衛門は「平野」の名字と周辺の漁業権を頼朝から与えられたと伝えられています。 現在も子孫が島を継承し、代々「平野仁右衛門」を名乗って38代目です。 島は一般に開放されています。 その内行こうと思いつつ、なかなか実行できずにいます。 ...続きを見る

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2012/10/05 22:31
常陸国一之宮 2
奥宮江戸幕府初代将軍徳川家康によって鹿島神宮の本殿として造営されたものです。 二代将軍徳川秀忠が新たに本殿を造営した際に、現在地に移されて奥宮となりました。 ...続きを見る

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2012/10/04 23:06
常陸国一之宮 1
茨城県鹿嶋市宮中には、常陸国一之宮鹿島神宮が鎮座しています。 創建は、紀元前660年と伝えられています。 祭神は、武甕槌大神です。 大和朝廷の東国平定において、蝦夷に対する前線基地の役割を果たしました。 藤原氏の祖先の中臣氏が鹿島神宮の祭祀を司っていたため、藤原氏からも篤く尊崇されました。 徳川家康から社領2000石を与えられました。 安房里見氏が関ヶ原の戦いの恩賞として鹿島3万石を賜ったことで、里見氏からも社領200石を与えられました。 ...続きを見る

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2012/10/03 21:06
頼朝公安房入りの日
9月14日(新暦)は、源頼朝が安房国に落ちてきた日です。 治承4年8月23日(1180年9月14日)に、頼朝は相模国真鶴岬から船で安房国に渡りました。 安房の民は頼朝を手厚くもてなしたという話しが各地に残っています。 ...続きを見る

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2012/09/14 22:06
玉前神社の別当寺
千葉県長生郡一宮町一宮には、玉崎山観明寺という天台宗の寺院があります。 本尊は、十一面観世音菩薩です。 かつては、上総国一之宮の玉前神社の別当寺でした。 正木時通が守護不入を認めた制札が残されています。 時通は、安房里見氏配下の武将でした。 父の正木時忠が里見氏に謀反した時に、時通も参加して上総一宮城を攻め落としています。 後に再び里見氏の配下に復し、勝浦城主となりました。 時通の菩提寺は、千葉県南房総市加茂にある日運寺という日蓮宗の寺院です。 ...続きを見る

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2012/09/13 20:57
頼朝公旗揚げの日
9月8日(新暦)は、源頼朝が平氏追討の挙兵をした日です。 頼朝は、治承4年8月17日(1180年9月8日)に平氏方の伊豆国目代山木兼隆を討ちました。 初戦に勝利したものの、数日後には石橋山の合戦で敗れ、安房国に落ちていきました。 ここで敗れなかったら、我が千葉県には渡って来なかったかもしれないと思うと、なんとも不思議な気持ちです。 ...続きを見る

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2012/09/08 22:33
上総国一之宮
千葉県長生郡一宮町一宮には、玉前神社が鎮座しています。 祭神は、玉依姫命です。 古くから上総国一之宮として崇敬されてきました。 永禄年間に起こった里見氏と北条氏の戦で社殿を焼失し、その時に宝物や文書等も多くが焼失したため、創建年代や由来については明らかにされていません。 天正10年(1582年)に、里見義頼によって再建されたと伝えられています。 ...続きを見る

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2012/09/05 22:50
新田一族の盛衰
数日前に購入した「新田一族の盛衰」という本を読み始めました。 9年前に刊行された本ですが、まだまだ自分の知らない情報も多く、なかなか読みごたえがあります。 同じような感じで、鎌倉時代の足利氏一族について詳しく書かれた本があると良いのですが・・・。 ...続きを見る

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2012/09/03 21:02
高崎源氏史跡巡り
昨日は、群馬県高崎市と安中市まで源氏一族所縁の史跡巡りに行ってきました。 最初に行ったのは、史跡ではなく、高崎市中里見町にある戸田書店榛名店です。 里見氏発祥の地にある書店なので、里見氏所縁の書籍を数多く置いていると思ったからです。 そこで「里見の郷再発見伝」創刊号という小雑誌を購入。 この本の発行元も戸田書店榛名店です。 ほんの少し前に発行されたばかりの本で、主に群馬県の一部の書店でしか取り扱いがない本でした。 戸田書店榛名店に問い合わせて通販できないか確認をしようと思っていたので... ...続きを見る

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2012/09/02 23:34
新田氏の惣領
書店で「新田岩松氏」という本を見つけて購入。 源氏の棟梁源義家から始まり、戦国時代の岩松尚純までの岩松氏歴代のことが書かれています。 岩松氏は、八幡太郎源義家の血をひく新田氏の一門で、新田宗家の滅亡後は新田氏の惣領となった一族です。 岩松氏の初代となる岩松時兼は、父方は足利氏、母方は新田氏という出自でしたので、新田庄内に領地を持ちながらも足利氏の一門的な家でもありました。 手持ちの他の本にも載っている情報ばかりだったのですが、ついつい買ってしまいました。 ...続きを見る

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2012/08/29 22:18
石堂寺足利地蔵
千葉県南房総市にある石堂寺に行って足利地蔵を拝観してきました。 この寺院は喜連川(足利)頼氏が幼少期に修行をしていた所で、頼氏の木像があります。 いつかは木像も拝観してみたいものです。 ...続きを見る

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2012/08/27 20:58
小さな大大名
Amazonで「わずか五千石、小さな大大名の遣り繰り算段」という本を見つけました。 以前に購入した「日本一小さな大大名―たった五千石で、徳川将軍家と肩を並べた喜連川藩の江戸時代 」という本がリニューアルされただけなのでは!?と思いましたが、それほど高い本ではないので、とりあえず購入。 半分くらいは同じような内容でしたが、おそらく歴史好き以外では世の中のほとんどの人に知られていないであろう喜連川氏の本がまた1冊発売されただけでもうれしいことです。 ...続きを見る

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2012/08/25 20:22
源尊氏公生誕記念日
新暦の8月18日は、室町幕府初代将軍足利尊氏の誕生日です。 幕府三代創始者の中で、一番好きな人物です。 子供のころはそれほど興味のある人物ではなかったのですが、NHK大河ドラマ「太平記」を観て以来、いろいろと本を買い漁って調べまくりました。 劇中で何度も出てくる「源氏の棟梁」という言葉が気になったのがきっかけです。 源氏の棟梁の源頼朝が好きだったこともあって、頼朝の血筋が絶えた後の源氏の棟梁が足利氏になったということに興味を持ち、尊氏だけでなく足利氏全体が好きになりました。 ...続きを見る

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2012/08/18 22:43
購入を迷う
ネットで「中世東国政治史論」という本を見つけました。 目次を見ると、安房里見氏や上総武田氏、小弓公方や古河公方について書かれているらしいのですが、何よりも目をひいたのは、古河公方足利義氏の兄弟達(足利藤氏、足利家国、足利輝氏、足利藤政)についての考察が一人ずつ書かれているということです。 買いたいと思ったのですが、定価が11550円もします。 ちょっと躊躇する値段です。 申請中のエコカー補助金が振り込まれたら、そのお金を回そうかなとも考えましたが、まだしばらく迷いそうです。 ...続きを見る

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2012/08/16 23:11
存在の疑わしい武将が黒印状を与えた寺
千葉県いすみ市大野には、栄久山妙興院光福寺という日蓮宗の寺院があります。 元享3年(1323年)に創建され、応仁元年(1467年)に里見成義が境内不入の黒印状を与えたと伝えられています。 里見成義は、里見氏の内乱(天文の内乱)後に系図が改竄されて歴代に挿入された人物という説が現在有力です。 実在が疑われており、実在していたとしても、当主ではなく一門の誰かだと考えられています。 ...続きを見る

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2012/08/14 21:35
なりきりツイッター
清和源氏新田氏流の「ある一族」になりきってツイッターをしている人のことを教えられ、そのツイッターを毎日閲覧させていただいています。 それなりに歴史好きな人がつぶやいているのでしょうから、自分の知らない情報が拾えないかなと期待しているのですが、とくにこれといったものは拾えず・・・。 今後に期待します!! ...続きを見る

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2012/08/10 19:27
「足利」を冠するお地蔵様
ネット上の情報で、千葉県南房総市の旧:丸山地区にある石堂寺に「足利地蔵」と呼ばれるお地蔵様があるという記事を見つけました。 石堂寺は何度も行っているのですが、知りませんでした。 石堂寺は小弓公方足利氏の血を引く足利頼淳とその次男の喜連川頼氏に所縁の寺院です。 偶然に撮影した写真がないかとPCに保存してあるデジカメのデータを見てみましたが遠くから一部が写っている写真が1枚あるだけでした。 近い内にまた訪ねて撮影するつもりです。 ...続きを見る

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2012/08/09 21:11
小田喜城の鎮守
千葉県夷隅郡大多喜町船子には、八幡神社が鎮座しています。 鶴岡八幡宮を勧請して小田喜城の鎮守とし、大永7年(1527年)に上総武田氏の武田信清、天文15年(1546年)に正木時茂が太刀を奉納したと伝わっています。 ...続きを見る

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2012/08/08 23:24
鳥山氏一族
里見氏関係の資料をいろいろと読み漁っていたら、千葉県南房総市千倉町に里見氏の庶流鳥山氏のそのまた庶流宇山氏の史跡があることがわかりました。 いずれ訪ねたいと思いました。 ...続きを見る

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2012/08/07 19:04
一っ走り
千葉県南房総市まで、安房里見氏の史跡を訪ねて行ってきました。 今回行った所は、かなり道が細く、脱輪に怯えながらでした。 通りすがりに藤原氏に関係のある神社を発見。 こちらも撮影してきました。 ...続きを見る

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2012/08/06 23:35
太平記
PCが勝手にチャンネル銀河でやっていた「太平記」の16〜19話を録画していたので、視聴しました。 鎌倉倒幕に向かっていく部分の話しで、わりと好きな部分です。 一番良いのは、この時代の源氏の棟梁足利氏が主人公だということです。 ...続きを見る

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2012/08/05 23:33
頼朝公墓所
2012年の2月に、神奈川県鎌倉市西御門の鎌倉幕府初代将軍源頼朝公の供養塔が破壊されるという事件が起きました。 供養塔は直ちに修復され、墓所の扉は鍵を閉めて閉じられてしまいました。 今までは、お賽銭をして供養塔のすぐ前で手を合わせていたのですが、扉が閉じられてしまったので頼朝公との距離が少し遠くなってしまったみたいで寂しいです。 ...続きを見る

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2012/08/01 21:19
再建されないのかな!?
神奈川県鎌倉市西御門にある白旗神社の狛犬が、2012年二月に、心無い者によって壊されました。 ...続きを見る

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2012/07/31 23:34
叶うといいな
数か月前に千葉県館山市館山の城山公園に行った時に撮った写真です。 デジカメを忘れたので携帯で撮りました。 城山公園に限らず、安房地域の里見氏所縁の地や大河ドラマ化を応援している施設等には、この旗があちこちに立っているようです。 「南総里見八犬伝」ではなく、史実としての「里見氏」の大河ドラマ化が狙いです。 ...続きを見る

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2012/07/28 23:16
通りすがりに見つけたお寺 5
神奈川県鎌倉市大町には、慧雲山常栄寺という日蓮宗の寺院があります。 慶長11年(1606年)に創建されました。 裏山には、鎌倉期に源頼朝が由比ヶ浜を眺めるための桟敷を作らせました。 この桟敷を管理していた老婆が、鎌倉幕府に捕えられて刑場に護送されていく日蓮に胡麻のぼたもちを捧げました。 その後、日蓮は奇跡的に死罪を免れたことから、後にこの地に創建された常栄寺では日蓮の法難のあった9月12日に胡麻のぼたもちを振る舞うようになりました。 振る舞われたぼたもちは「首つなぎぼたもち」と言われ、... ...続きを見る

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2012/07/25 19:11
大多喜の御所
「小弓公方足利義明・関東足利氏の正嫡争いと房総諸士」という本を読んでいたところ、大多喜町に、かつて足利義明の嫡男足利頼淳の御所があったという記述を見つけました。 大多喜城ではなく、まだ小田喜城だったころのことです。 残念ながら、御所の位置は特定できていないとのこと。 しかし、資料等から著者が推定した場所が何ヶ所か載っていました。 いつか訪れてみたいものです。 ...続きを見る

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2012/07/24 20:57
通りすがりに見つけたお寺 4
神奈川県鎌倉市大町には、多福山一乗院大宝寺という日蓮宗の寺院があります。 新羅三郎源義光がこの地に館を構え、子孫の佐竹氏に継承されました。 応永6年(1399年)に佐竹義盛が出家して、この地に多福寺を建立しました。 文安元年に日蓮宗の一乗日出上人によって再興され、多福山一乗院大宝寺と改められました。 境内には、源義光が創建した多福明稲荷大明神が鎮座しています。 ...続きを見る

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2012/07/15 22:17
通りすがりに見つけたお寺 3
神奈川県鎌倉市大町には、法久山大前院上行寺という日蓮宗の寺院があります。 正和2年(1313年)に創建されました。 境内にある瘡守稲荷は、源頼朝がおできで苦しんでいる時に、妻の北条政子が祈ったところ、たちどころに治ったという伝説があります。 上行寺の創建は頼朝の死よりも後なので、瘡守稲荷のあった地に新たに寺が創建されたということなのでしょうか!? ...続きを見る

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2012/07/08 23:37
金閣焼失の日
7月2日は、鹿苑寺の舎利殿(金閣)が焼失した日です。 昭和25年(1950)年7月2日、京都府京都市金閣寺町の鹿苑寺にある舎利殿が放火され、足利義満の木像や仏像等も含め、貴重な国宝や文化財が焼失しました。 現在の金閣は創建時の状態を復元したもので、放火されなかったらもっと寂れた感じの建物が建っているはずでした。 ...続きを見る

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2012/07/02 22:46
頼朝の冥福を祈るための寺院
神奈川県鎌倉市大町には、祇園山安養院長楽寺という浄土宗の寺院があります。 嘉禄元年(1225年)に、北条政子が源頼朝の冥福を祈るために笹目ヶ谷に寺院を創建したのが始まりと伝えられています。 長楽寺は、元弘元年(1333年)に兵火によって焼失し、大町にあった善導寺に統合され、安養院長楽寺と号しました。 江戸期に田代寺を統合して、現在の安養院になりました。 本尊は、阿弥陀如来です。 田代寺は、頼朝の家臣田代信綱が建久3年(1192年)に比企ヶ谷に創建しました。 ...続きを見る

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2012/06/29 22:14
ナビを頼りに史跡巡り
千葉県の大多喜町と市原市の安房里見氏所縁の寺社をいくつか訪ねてきました。 AM10:00に家を出て、帰宅したのはPM6:45でした。 車を降りて山道を歩いている時等に、通りすがりの人達に話しかけられて、何度か世間話しをしたりしました。 一人旅で知らない人達とお話しするのも楽しいものです。 ...続きを見る

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2012/06/25 21:02
通りすがりに見つけた神社 25
神奈川県鎌倉市大町には、八雲神社が鎮座しています。 祭神は、須佐之男命、稲田比賣命、八王子命、佐竹氏の霊 です。 かつては祇園天王社と呼ばれていましたが、明治維新後に八雲神社と改称されました。 平安時代、後三年の役の時に、新羅三郎源義光が、兄の八幡太郎源義家を助けるために欧州に向かう途中に鎌倉に立ち寄り、疫病が流行っているのを見て、京都の祇園社を勧請したのが始まりだと伝えられています。 佐竹氏の霊を祀っているのは、佐竹氏が源義光の子孫だからです。 ...続きを見る

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2012/06/23 20:43
源持氏公菩提寺
神奈川県鎌倉市大町には、稲荷山別願寺という時宗の寺院があります。 鎌倉三十三観音霊場の第十三番札所です。 もともとは能成寺という真言宗の寺院でしたが、弘安五年(1282年)に住職の公忍上人が時宗の開祖一遍上人の弟子となり、名を覚阿と改め、その時に能成寺も時宗に改められ、寺名も別願寺となりました。 歴代鎌倉公方の菩提寺として栄えました。 墓所には、第四代鎌倉公方足利持氏の供養塔があります。 持氏は幕府と対立し、敗れて出家しますが許されず、幕府軍に攻められて永安寺(現在の鎌倉市二階堂に、か... ...続きを見る

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2012/06/17 23:05
夢想国師の高弟が創建したと伝わる寺院
千葉県南房総市富浦町深名には、常禅寺という臨済宗円覚寺派の寺院があります。 正平年間(1346〜1369年)に夢想国師の高弟の古天周誓によって創建されたと伝わっています。 かつては「常善寺」と書いていました。 本尊は釈迦如来です。 安房里見氏から2石7斗4升4号の寺領を与えられていました。 富浦町原岡にある興禅寺(足利義明の娘で、里見義弘の正室となった青岳尼の菩提寺)の末寺でした。 ...続きを見る

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2012/06/13 22:47
里見氏一門薦野氏の墓所
千葉県館山市上真倉の安房高野山妙音院に里見氏一門の薦野氏の墓所があることがわかったので、以前に書いた記事を加筆修正。 タイトルも変更しました。 ...続きを見る

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2012/06/09 21:20
将門伝説のある寺院
栃木県足利市小俣町には、仏手山金剛王院鶏足寺という真言宗豊山派の寺院があります。 大同4年(809年)に東大寺の定恵上人が世尊寺一乗坊として開山したのが始まりです。 平将門の乱の時に藤原秀郷が戦勝祈願に訪れ、将門の土人形を作って、将門調伏の祈祷をしました。 翌朝土人形に鶏の足跡が3つ付いていたので勝利を悟ったと伝えられています。 この功によって、世尊寺は鶏足寺と改められました。 足利泰氏の八男の小俣賢宝を祖とする小俣一族が何人か住持を務めています。 ...続きを見る

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2012/05/31 22:15
源義兼公正室の菩提寺
栃木県足利市巴町には、帝釈山智願院法玄寺という浄土宗の寺院があります。 足利義兼の正室北条時子の菩提を弔うために、義兼の庶長子の足利義純によって創建されました。 時子は、義兼が鎌倉に滞在中に腹部が膨れて妊娠したように見える状態になり、侍女の藤野が時子が密通していると義兼に虚偽の報告したため、義兼は疑念を持ちました。 時子は身の潔白を証明するために「死後に我が身体あらためよ」と遺言して自害しました。 死後に腹部を裂いてみると、中からは大量の蛭が出てきたとのこと。 藤野が飲ませた汲み水が原... ...続きを見る

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2012/05/23 21:52
鑁阿寺 5
大酉堂足利尊氏を祀るために室町期に建立され、甲冑姿の尊氏の木像が安置されていました。 明治期の皇国史観の影響で、尊氏の木像は他に移され、替わって大酉大権現が祀られました。 ...続きを見る

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2012/05/16 22:25
鑁阿寺 4
多宝塔足利義兼の建立と伝えられていますが、現在の建物は江戸期に再建されたものです。 当初は元禄5年(1692年)に江戸幕府第五代将軍徳川綱吉の母の桂昌院によって再建されたと伝えられていましたが、後の調査で寛永6年(1629年)に再建されたことがわかりました。 足利家の大位牌と徳川歴代将軍の位牌が祀られています。 ...続きを見る

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2012/05/15 22:07
鑁阿寺 3
経堂足利義兼が妻の北条時子の供養のために建立したと伝えられています。 現在の建物は、応永14年(1407年)に関東管領(鎌倉公方)足利満兼が再建したものです。 ...続きを見る

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2012/05/14 22:35
鑁阿寺 2
栃木県足利市家富町には金剛山仁王院法華坊鑁阿寺という真言宗大日派の寺院があります。 源姓足利氏の菩提寺で、このブログでも何度か記事にしています。 境内には足利大権現と呼ばれる建物があり、源氏累代の祖、源義国、足利義康が祀られています。 ...続きを見る

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2012/05/13 22:59
源頼朝公生誕記念日
5月9日は、鎌倉幕府初代将軍源頼朝の誕生日です。 頼朝は、久安3年4月8日(1147年5月9日)に源義朝の三男として生まれました。 長男と次男は側室の子だったため、正室から生まれた頼朝は嫡男として育てられたと伝えられています。 ...続きを見る

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2012/05/09 22:21
常陸国へ
ふと思い立って、安房里見氏所縁の鹿島神宮に行ってきました。 途中で正木氏や上総介広常所縁の上総国一ノ宮の玉前神社に寄ってきました。 玉前神社のすぐ近くに大きな寺院が見えたので、かつては玉前神社の別当寺だったのではないかと思い、そこにも寄ってきました。 やはり正木氏に所縁がありました。 続いて銚子に立ち寄り、通りすがりに見つけた満願寺に行ってきました。 坂東三十三ヶ所観音霊場や四国八十八ヶ所霊場巡り等を終えて満願成就した人が報恩感謝のために訪れる寺のようです。 ついでに銚子の灯台も撮影... ...続きを見る

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2012/05/07 21:59
二代目義貞公
群馬県太田市新田市野井町の生品神社から新田義貞の銅像が盗まれてから2年2ヶ月。 地元有志の働き掛けで、4月29日に新しい銅像が設置されました。 基本デザインは以前の像を踏襲しています。 大きさは、以前の像の2倍以上あります。 作ったのは、義貞の弟の脇屋義助の24代目子孫の脇屋幸正氏です。 太田市を訪れた折は、写真を撮りに行きたいと思います。 ...続きを見る

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2012/05/01 23:47
安房里見氏の出自
4月14日に千葉県館山市で「里見氏城跡国史跡指定記念シンポジウム」が開かれました。 その時の講演で、安房里見氏初代とされる里見義実の出自の新説が出ました。 今までにも義実の出自には諸説ありました。 「美濃里見氏出身で、関東の里見氏が滅亡したので名跡を継いだ」という説がありましたが、新説はさらに突っ込んで「結城合戦で嫡流家の里見家基が戦死したため、家基の嫡男の義実は美濃に逃れ、同族の美濃里見氏に養子に入って成長した」というものでした。 現状では、あくまで仮説でしかないようですが・・・。 ... ...続きを見る

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2012/04/20 22:36
大多喜巡り
ふと思い立って、千葉県夷隅郡大多喜町周辺の里見氏&正木氏所縁の寺社を訪ねてきました。 最初に行ったのは、大多喜町船子の八幡神社。 鶴岡八幡宮を勧請し、正木氏や武田氏が刀を奉納したと伝わっています。 予想より小さくて、少し残念でした。 次に行ったのは、いすみ市大野の光福寺。 里見成義が境内不入の黒印状を与えたと伝わっています。 次に行ったのは、いすみ市行川の妙泉寺。 正木憲時から境内不入を認められたと伝えられています。 この寺では、近所から毎日草取りに来るというお婆さんに話しかけら... ...続きを見る

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2012/04/19 20:37
鎌倉の本屋
数日前に、鎌倉で足利氏関係の本を1冊購入しました。 かつて足利氏が支配していた地なのだから、足利氏所縁の本がいっぱいあっても良さそうなものだが、なかなかこれぞという本は見つかりません。 ...続きを見る

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2012/04/12 19:50
八幡宮の別当坊が置かれた場所
神奈川県鎌倉市雪ノ下には、二十五坊旧跡の碑が建っています。 鎌倉時代に、鶴岡八幡宮の供僧の宿舎や僧官の住む別当坊があった場所です。 源実朝を暗殺した公暁が、実朝の首を持って隠れたという後見人の住居もここにあったと伝えられています。 鎌倉府の衰退と共に数が減っていき、江戸期に徳川氏の保護によって一時盛り返すも、明治期には完全に廃絶しました。 ...続きを見る

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2012/04/10 19:43
下見のついでに
とある資格のスクーリング会場の下見に行ったついでに、鎌倉まで行ってきました。 ポカポカ陽気を通り越して暑いくらいでしたが、桜が見ごろでキレイでした。 まず最初に行ったのが別願寺。 ここには第四代鎌倉公方の足利持氏の供養塔があります。 次に行ったのは大町の八雲神社。 別願寺に向かう途中で看板が目に入ったので、少し戻って寄ってみることにしました。 新羅三郎源義光の創建とのことで、源氏所縁の神社を偶然見つけてラッキーでした。 次に行った(・・・というか通っただけ)のは上行寺。 道の前か... ...続きを見る

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2012/04/09 20:42
お花見
とある源氏所縁の寺院にて ...続きを見る

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2012/04/05 22:20
源尊氏公菩提寺
神奈川県鎌倉市山ノ内には、宝亀山長寿禅寺という臨済宗建長寺派の寺院があります。 建武3年(1336年)に、足利尊氏(室町幕府初代将軍)が創建し、諸山第一位に列しました。 諸山とは、五山十刹より下位の寺格に当たります。 尊氏は、正平13年/北朝歴:延文3年4月30日(1358年6月7日)に京都で亡くなり、等持院に葬られました。 尊氏の死後に、尊氏の四男足利基氏(初代鎌倉公方)によって、尊氏を弔うために七堂伽藍が建立されました。 境内には、尊氏の遺髪を埋葬したと伝わる供養塔があります。 ... ...続きを見る

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2012/03/29 21:18
里見氏所縁の史跡巡り
千葉県館山市上真倉の妙音院に、里見氏一門の薦野氏一族の墓所があるという情報を入手したので、一っ走り行ってきました。 次に千葉県南房総市富浦町深名の常善寺という寺院を訪ねました。 常善寺は、里見氏から寺領を与えられていました。 次に南房総市千倉町川口の高徳院という寺院を訪ねました。 里見氏所縁の虚空蔵菩薩像が安置してあるそうです。 ...続きを見る

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2012/03/27 19:03
いざ足利
新車になってから初めての遠出をしてきました。 鎌倉と迷ったのですが、今回は足利にしました。 いつも通りに高速を使わず一般道オンリーでと思ったのですが、平日だというのに渋滞。 春休みのせいもあったのかもしれません。 予定では14時くらいに着く予定だったのですが、時間が読めなくなりました。 仕方なく途中で高速へ。 しかし首都高も渋滞気味。 東北道に入ったら、スムーズに進むようになりました。 結局、足利市に着いたのは15時過ぎ。 まずは家富町にある鑁阿寺にお参り。 境内にある足利大... ...続きを見る

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2012/03/19 23:56
ドライブ予定
昔から何故か「源氏」が好きです。 うちの名字は平氏系に多いようですが、祖母の実家は源氏の庶流かもしれない(たぶんハッタリ)ということなので、女系でも源氏の血を引いていたら良いなといつも思っています。 明日は久しぶりにかつての足利荘(現:栃木県足利市)を訪ねてきたいと思っています。 ここは鎌倉幕府第三代将軍源実朝亡き後の源氏の棟梁足利氏の発祥地です。 鎌倉の次に好きな場所です。 去年買ったガイドブック「歴史の旅 太平記の里 新田・足利を歩く」を持って、あちこち歩いてみようと思います。 ... ...続きを見る

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2012/03/18 23:22
連休
来週の月、火はお休みです。 天気が良ければ、久しぶりに栃木県足利市&群馬県太田市に史跡巡りに行こうかと考え中。 新車での初のロングドライブにもなるので楽しみです。 休みになるまでにストレスで倒れていなければ良いのですが・・・。 ...続きを見る

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2012/03/15 23:06
出先で衝動買い
出先でたまたま見つけた書店で「実朝の首」という小説を見つけて衝動買い。 ちらっと中を覗いた感じでは、北条政子は我が子を愛する優しい母親として描かれいるようです。 個人的には、悪女よりも優しい母親としての政子が好感が持てます。 ...続きを見る

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2012/03/06 22:56
清和源氏&村上源氏所縁の神社
千葉県君津市三直には、八雲神社が鎮座しています。 創建は、成務天皇の御世(在位131〜190年)と伝えられています。 祭神は、須佐之男命、稲田姫命、誉田別命、武御名方命です。 治承4年(1180年)に、安房に落ちてきた源頼朝がこの地を通った時に、神鏡1面を納めて源家再興を祈願しました。 天文9年(1540年)には、里見義弘が武運長久を祈願しました。 江戸期には、村上源氏の一族の赤松氏が領主となり、社殿の再建等をしています。 ...続きを見る

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2012/02/15 23:01
インタビュー
職場のお客様に「里見」という名字の人がいたので、ご先祖のことや家紋について聞いてみました。 答えは「家紋なんて気にしたことがないからわからない」「先祖についても何も聞いたことはないから知らない」でした。 安房里見氏所縁の家なら、少しは何か伝わっていると思います。 明治の新姓で、地元で有名な戦国大名の里見氏に因んで勝手に名乗っちゃった家なのかもしれません。 ...続きを見る

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2012/02/13 20:47
破壊
神奈川県鎌倉市にある源頼朝の墓が壊されたというニュースがやっていました。 周辺の神社の狛犬等も壊されているそうです。 鶴岡八幡宮で包丁を所持している男が逮捕され、墓を壊した犯人の目撃情報と似ているので確認を急いでいるとのこと。 こういうことをする奴は許せないけど、特に自分の尊敬する歴史上の偉人の墓なので、余計に怒りが込み上げます。 ...続きを見る

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2012/02/11 22:00
父の古い友人は里見氏だった
父が母に子供のころの話しをしていたのですが、その中にちょっと珍しい名字の人が出てきました。 その人は、父の子供時代の遊び友達だったそうで、里見氏の一門衆だった家と同じ名字でした。 父に詳しく話しを聞いてみると、家には先祖伝来の刀や具足等があったそうです。 その人の先祖は、手持ちの本によると、里見氏が改易になった後に、他家に仕えた一族と安房に残った一族に分かれたそうです。 安房里見氏には、例え一門衆でも、本家が許可しなければ「里見」を名乗れない制度がありました。 他家に仕えた家は、名字を... ...続きを見る

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2012/01/23 21:14
源義満公太政大臣宣下の日
1月16日は、足利義満が太政大臣に就任した日です。 室町幕府第三代将軍として政務を摂っていた義満は、応永元年12月17日(1394年1月8日)に征夷大将軍を辞職し、同日に嫡男の足利義持が征夷大将軍宣下され第四代将軍になりました。 義満は、同年12月25日(1月16日)に太政大臣宣下されました。 足利義満という人物は、いつか大河ドラマでやってほしいと思っている人物です。 日本初の幕府を創設した源頼朝や、一度は倒した幕府を再興した足利尊氏もすごい人だとは思います。 義満は、幕府を超えて、幕... ...続きを見る

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2012/01/16 23:16
「平清盛」の第2話を視聴。 公家役で、阿部サダヲさんと佐藤二郎さんが出演していますが、なかなか良い味を出しています。 今後、清盛と深く係わってくる役どころなので、かなり期待しています。 頼朝は相変わらず威厳が感じられず、とても残念。 ...続きを見る

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2012/01/15 22:50
里見氏子孫の建てた薬師堂
千葉県館山市布沼には、安房里見氏の子孫が建てたと伝わる薬師堂があります。 江戸期に里見義堯の流れを汲む郷士が建立したとのこと。 本尊は薬師如来です。 ...続きを見る

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2012/01/10 21:58
清盛
録画しておいた「平清盛」を視聴。 想像以上に汚らしい設定でした。 しかし、それが良いとも思います。 これから清盛の成長と出世と共に、段々と煌びやかな世界へと変わっていくのだろうと思います。 冒頭に登場した源頼朝が、あまり威厳を感じられず、とても残念でした。 あの段階の頼朝なら、もう少し年輩の俳優を使った方が良かったのではないかと思いました。 政子の衣装設定はおもしろかったのですが・・・。 ...続きを見る

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2012/01/09 21:55
流れ
うちの先祖の出自はよくわかりません。 単純に名字だけなら、桓武平氏三浦氏流の一族の中に同じ名字が存在します。 清和源氏ではないのが、残念なところです。 男系ではなく女系で辿ると、祖母の実家は清和源氏新田氏流里見氏に連なるという口伝があります。 ハッタリだろうが、何も伝わっていないよりはマシかなと思います。 どこかから嘘の家系図でも良いから出てこないかな・・・。 ...続きを見る

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2012/01/05 23:10
2012
あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。 ...続きを見る

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2012/01/01 23:47
探し物
Amazonで、源氏一族関係でおもしろそうな本はないかと検索。 「足利氏」、「新田氏」、「里見氏」、「岩松氏」等で検索してみるが、特に目を引く物はなし。 残念です。 ...続きを見る

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2011/12/22 21:48
里見義堯所縁の神社
千葉県南房総市高崎には、岩井神社が鎮座しています。 平安時代の一条天皇の御世に創建されたと伝えられています。 安房里見氏から、4石の社領を与えられました。 天文年間に、里見義堯が社殿を修造しています。 ...続きを見る

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2011/12/17 22:52
吉良氏
12月14日は、赤穂浪士が吉良邸に討ち入った日です。 世間は赤穂浪士側に感情移入しがちですが、自分は吉良氏の方に感情移入してしまいます。 どんな理由があろうと、殿中で刀を抜いて斬りかかったのは浅野内匠頭の落ち度であり、吉良氏は一方的な被害者である。 裁定を下した幕府ではなく、吉良氏を討つのは逆恨みではないだろうか。 忠臣蔵は読んだこともないし、ドラマを見たこともないし、その事件の詳しい資料も読んだことがないので、あくまで全くの素人の意見でしかありませんが・・・。 ...続きを見る

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2011/12/14 20:04
旗掛松
千葉県鴨川市広場には、源頼朝が源氏の白旗を掛けたと伝わる松の木の古株があります。 ...続きを見る

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2011/11/30 22:41
念願叶う
昨日は、母と義理の叔母を車に乗せて鎌倉に行ってきました。 最初に行ったのは、報国寺。 足利家時の菩提寺で、竹の庭としても有名です。 庭を眺めながら、抹茶を飲んでしばし休憩。 その後は、鎌倉五山の一つの浄妙寺に行きました。 ここは足利貞氏の菩提寺です。 報国寺から徒歩3〜4分位です。 次は鶴岡八幡宮にお参りして、前の通りで昼食を食べました。 八幡宮に戻ってきて、母達が休憩所でお土産を買ったり休んだりしている間に、一人で長寿寺に行ってきました。 ここは室町幕府の創始者の足利尊氏の菩... ...続きを見る

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2011/11/26 20:34
指定
国の文化審議会が、清和源氏の流れを汲む戦国大名里見氏の居城址の稲村城址(千葉県館山市稲)と岡本城址(千葉県南房総市富浦町豊岡)を国指定史跡とするように文部科学大臣に答申したという情報を入手。 国指定史跡となれば、国のお墨付きで保存されることになるわけですから、とても喜ばしいことです。 ...続きを見る

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2011/11/18 23:55
通りすがりに見つけた像
里見えびす千葉県館山市の北条地区で見つけました。 かつて館山を支配していた戦国大名里見氏に由来するのでしょうか!? ...続きを見る

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2011/11/14 22:44
脇屋氏の菩提寺
群馬県太田市脇屋町には、脇屋山正法寺という真言宗の寺院があります。 清和源氏初代の源経基の請願を受けて、延喜年間(901〜923年)に聖宝によって開山され、かつては聖宝寺と号しました。 元暦年間(1184〜1185年)に、経基の子孫の新田義重によって堂塔を修理されました。 元弘年間(1331〜1334年)に、新田義貞の弟の脇屋義助によって寺領と大般若経600巻が寄進されました。 脇屋義助は、南北朝期に南朝方として活躍しましたが、次第に北朝方に追い詰められていき、興国3年/北朝歴:康永元年... ...続きを見る

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2011/11/02 21:12
台座だけが・・・
群馬県太田市新田市野井町には、生品神社が鎮座しています。 鎌倉倒幕時に、新田氏一門が旗揚げをした地です。 ...続きを見る

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2011/10/26 23:17
源成氏公命日
10月25日(新暦)は、第五代鎌倉公方(初代古河公方)の足利成氏の亡くなった日です。 鎌倉公方として東国を治めていた成氏は、関東管領上杉氏と対立し、幕府は上杉氏を支援したため、幕府をも敵に回してしまいました。 その結果、鎌倉を放棄して下総国の古河に逃亡しました。 幕府は新たな鎌倉公方として足利政知を派遣しましたが、古河に移った成氏の勢力は依然として強く、鎌倉には入れずに伊豆に逗留しました。 結局、政知は伊豆一国の支配に留まり、幕府は成氏と和解しました。 しかし、東国では不安定な情勢が続... ...続きを見る

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2011/10/25 22:41
頼朝を歓待した館
群馬県太田市世良田町には、総持寺という真言宗豊山派の寺院があります。 鎌倉時代の世良田郷は、新田の庄の経済的中心地だったので、新田宗家の館もここにあったと考えられています。 現在の総持寺を含む周辺が新田館跡です。 源頼朝が那須野に狩りに来た折に、新田義重が頼朝を招いたのがここだったと考えられています。 この館には、義重の他に、世良田頼氏や新田義貞が住したという説も伝わっています。 ...続きを見る

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2011/10/20 21:40
移転した墓所
群馬県太田市世良田町には、長楽寺という天台宗の寺院があります。 新田氏一門の得川(徳川)氏の菩提寺です。 その一角に、同じく新田氏一門の岩松氏の墓所があります。 岩松氏の墓所は、もともとは普門寺(太田市世良田町)にありましたが、江戸期に普門寺が長楽寺の末寺に編入された折に長楽寺に移転しました。 ...続きを見る

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2011/10/13 22:44
用事のついでに史跡巡り
私用で出かけたついでに、千葉県君津市にある源頼朝が訪れたと伝わる神社に行ってきました。 道を挟んですぐ前にお寺かお堂らしき建物があったので、そこも撮影。 用事を済ませた後にもう一か所行く予定だったのですが、時間が無くなってしまったので中止しました。 ...続きを見る

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2011/10/10 23:29
徳川氏発祥の地 2−4
群馬県太田市世良田町には、長楽寺という天台宗の寺院があります。 江戸幕府徳川氏の系図上の祖先の得川(徳川)義季によって創建されました。 写真データを整理していたら、まだ当ブログ上で公開していない建物がありました。 ...続きを見る

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2011/10/08 22:45
プチ登山
安房里見氏所縁の薬師堂を見るために、千葉県館山市の布沼地区に行ってきました。 ネットで調べた地図(手書き)を見る限りでは割と広い道路の近くだったのですが、実際は車一台がやっと通れるだけの幅しかありませんでした。 しかも舗装されていなくて、草がすごくて、車の底に当たります。 車を降りたら、今度は少し山登りが必要でした。 行ったのは夕方だったので、山の中は少し薄暗くて、途中で引き返そうかと思いました。 「あと50mくらい進んで辿り着けなかったら引き返して、後日もっと明るい時間に出直そう」と... ...続きを見る

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2011/10/04 23:10
南総里見祭り2011
安房を支配した里見氏と、それを題材にした架空の物語小説の「南総里見八犬伝」に因んだお祭りです。 史実とフィクションが融合した不思議なお祭りです。 今年は30周年ということで、2日間行われます。 しかし、仕事で見に行けず・・・。 1日目には武者行列&山車や神輿のパレードがあるのですが、森田健作知事が里見義康公に扮して出陣式に参加したそうです。 職場に、たまたま「里見さん」という人がお客様として来たので、「今日は里見さんのためのお祭りの日ですね」と冗談を言ったりしました。 ...続きを見る

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2011/10/01 21:56
徳川氏発祥の地 2−3
群馬県太田市世良田町には、長楽寺という天台宗の寺院があります。 江戸幕府を開いた徳川氏の系図上の祖先の得川(徳川)義季が創建しました。 ここは何度か訪れている地ですが、撮影していない建物があったので、また行ってきました。 ...続きを見る

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2011/09/29 22:29
お茶会
業務でお茶会に参加。 鎌倉初詣以来8カ月ぶりくらいに抹茶をいただきました。 流派は、裏千家とのこと。 太祖の千利休は、清和源氏の里見氏の流れを汲む田中氏の一族です。 源氏好きとしては、こんなちょっとしたことでもうれしく思います。 ...続きを見る

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2011/09/27 21:12
三都物語
本日は、群馬県高崎市で「里見の郷フェスティバル」の一環として、歴史フォーラム「里見氏ゆかりの三都物語」が開催されました。 偶然24日が休みになっていたら行こうと思っていたのですが、残念ながら1日休みがずれていました。 ...続きを見る

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2011/09/24 22:59
ご先祖様の墓参り
群馬県太田市徳川町には、「伝新田義重夫妻之墓」という宝塔があります。 新田義重は、足利荘(現:栃木県足利市)を本拠地として足利式部大夫と名乗った源義国の庶長子で、新田氏の初代です。 義重は、源頼朝の挙兵時に一時敵に回るような行動を取り、かなり遅れて参陣したために冷遇されました。 晩年は、四男の得川(徳川)義季の館に住んだと伝えられています。 このブログで何度か書いていることですが、祖母の実家には安房里見氏の流れをくむ家柄だという口伝があります。 それを信じるなら、私も女系で里見氏の血を... ...続きを見る

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2011/09/20 19:26
知らん奴
TBSで「世紀のワイドショー!ザ・今夜はヒストリー」を視聴。 今回のタイトルは、「〜鎌倉幕府滅亡〜」。 新田義貞の鎌倉攻めにスポットを当てていましたが、冒頭で北条高時と新田義貞が紹介されたところで、出演者の松嶋尚美さんが「今までいろいろと有名人が出てきたけど、この二人は全然知らん奴や」みたいなことを言っておりました。 高時も義貞も、歴史好きな人には有名な人達ですが、やはり一般的には知名度が低いのでしょうね。 足利尊氏に対しては「この人はよく出てくる」みたいなことを言っていました。 尊氏... ...続きを見る

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2011/09/19 23:04
源高氏公命日
9月12日(新暦)は、婆沙羅大名として有名な佐々木道誉(京極高氏)の亡くなった日です。 佐々木氏は、宇多天皇を祖とする宇多源氏の流れで、近江国を本拠地として近江源氏とも呼ばれました。 佐々木氏の一族は、鎌倉期に源頼朝に仕えて繁栄し、後に六角氏(嫡流)と京極氏(庶流)に分かれました。 京極氏は、特に北条氏(得宗家)からの信頼厚く、嫡流の六角氏を凌ぐ勢いでした。 道誉は、後醍醐天皇の倒幕運動に協力し、建武の親政では重用されます。 しかし、後醍醐天皇の親政は武士達には不満なものでした。 道... ...続きを見る

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2011/09/12 23:17
日本に二つだけ
群馬県太田市徳川町には、縁切寺満徳寺遺跡公園があります。 満徳寺は、鎌倉期に得川(徳川)郷を領した新田氏一門の得川(徳川)義季(または義季の娘の浄念尼)の開基と伝わる時宗の寺院で、代々の住職も新田氏の一族から出たと伝えられています。 得川(徳川)氏の出自を名乗る江戸幕府初代将軍徳川家康は、先祖所縁の寺院ということで熱く保護し、100石の寺領を与えました。 日本に二つしか存在しなかった縁切寺でした。 大阪落城後に第二代将軍徳川秀忠の長女千姫を入寺させて豊臣氏との縁を切ったとされていますが、... ...続きを見る

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2011/09/11 20:35
源満兼公命日
9月1日(新暦)は、第三代鎌倉公方足利満兼の亡くなった日です。 天授4年/北朝歴:永和4年(1378年)に、第二代鎌倉公方足利氏満の嫡男として生まれました。 応永5年(1398年)に、氏満の死去によって家督を継承し、第三代鎌倉公方に就任しました。 野心が強く、守護大名の大内義弘と共闘して室町幕府第三代将軍足利義満を討とうとして挙兵しましたが、関東管領上杉憲定に諌められ、さらに義弘の討死の報告が入ったことによって鎌倉に帰還しました。 その後は、ひたすら幕府に恭順の意思を示して赦免されました... ...続きを見る

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2011/09/01 21:26
源政氏公命日
8月30日(新暦)は、第二代古河公方足利政氏の亡くなった日です。 政氏は、寛正3年1月7日(1462年2月6日)に初代古河公方足利成氏の嫡男として生まれました。 長享3年(1489年)に成氏の隠居によって家督を譲られ第二代古河公方に就任しました。 勢力を伸ばしてきた北条氏との対応を巡って嫡男の足利高基や二男の足利義明と対立し、血縁同士の争いを起こしました。 最終的に隠居を余儀なくされ、高基が第三代古河公方に就任しました。 二男の義明は、自分こそ古河公方の正当な継承者だとして高基と対立し... ...続きを見る

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2011/08/30 22:53
源義重公菩提寺
群馬県太田市金山町には、義重山新田寺大光院という浄土宗の寺院があります。 慶長18年(1613年)に、徳川家康が祖先の新田義重の菩提を弔うために創建しました。 ※詐称であるという説が有力ですが、徳川氏は新田氏の出自を名乗っています。 ...続きを見る

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2011/08/26 22:23
源義貞公菩提寺
群馬県太田市金山町には、太田山義貞院金龍寺という曹洞宗の寺院があります。 新田義貞の末裔を称した横瀬氏(由良氏)の菩提寺で、境内には義貞の供養塔があります。 ...続きを見る

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2011/08/19 23:43
源尊氏公生誕記念日
8月18日(新暦)は、室町幕府初代将軍足利尊氏の誕生日です。 尊氏は、嘉元3年7月27日(1305年8月18日)に、時の源氏の棟梁足利貞氏の二男として生まれました。 兄が若死にしたため、家督を継承しました。 鎌倉幕府の有力御家人でしたが、後醍醐天皇の倒幕運動に協力し、六波羅探題を攻め落としました。 同時期に、関東では新田義貞が直接鎌倉を攻め、北条一族の大半を攻め滅ぼしました。 義貞の軍勢には、尊氏の嫡男の千寿王も合流しており、参陣した武士達の多くは「義貞が千寿王を擁して決起した」と考え... ...続きを見る

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2011/08/18 21:50
源義貞公命日 2
8月17日(新暦)は、鎌倉倒幕に活躍した新田義貞の亡くなった日です。 職場のお客様に新田義貞を知っているか?と聞いてみましたが、知らない人ばかりでした。 楠正成と足利尊氏は知っている人が多かったです。 ...続きを見る

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2011/08/17 23:54
源家継公生誕日
8月8日(新暦)は、江戸幕府第七代将軍徳川家継の生まれた日です。 家継の幼名は「鍋松」です。 丑年生まれだったため、当時は丑年生まれの者は他の名字を名乗る風習があり、一時的に先祖の名字である「世良田」を名乗っていたと伝えられています。 第六代将軍徳川家宣の四男として生まれましたが、兄達が早世したため、父家宣の死去により3歳で元服し将軍職につきました。 ...続きを見る

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2011/08/08 22:49
源義家公命日
8月4日(新暦)は、八幡太郎源義家の亡くなった日です。 祖母の実家には、真偽は怪しすぎですが、安房里見氏の分家筋の家柄だという口伝がありました。 もし真実だったなら、直系ではないのが残念ですが、自分も里見氏の血筋をひいていることになります。 里見氏の祖は、新田氏です。 新田氏の祖は、足利式部大夫源義国です。 義国は義家の三男です。 そういうわけで、自分も義家の血筋をひいていることになります。 あくまで口伝が真実だったらの話しですが・・・。 何の根拠もない話しですが、信じたくなるも... ...続きを見る

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2011/08/04 23:03
久々の史跡巡り
千葉県鴨川市の病院に入院中の知人のお見舞いに行ったついでに、源頼朝が旗をかけた松があったという地に行ってきました。 現在は松の木は枯れていて、残った古株が祀られていました。 撮影後、病院に向かい、知人と面会しました。 知人は思ったより元気そうでしたが、まだまだ退院はいつになるかわからない様子。 早く元気になることを祈りつつ、帰路に着きました。 ...続きを見る

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2011/08/02 22:29
徳川氏&岩松氏協力の神社
群馬県太田市金山の新田神社の隣りには、御嶽神社が鎮座しています。 金山新田神社二代社掌の青木庫次郎政経が、金山山頂にあった御嶽神社の祠と、太田市下田島町の新田(岩松)家の館に祀られていた御嶽大神の社殿を譲り受けて、太田市内の信徒と旧尾張藩主徳川慶勝の援助で明治6年(1873年)に創建されました。 祭神は、国乃常立神、大己貴神、少彦名神です。 ...続きを見る

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2011/07/30 21:19
新田義貞を祀る神社
群馬県太田市金山には、新田神社が鎮座しています。 金山城跡の一画にあり、祭神は新田義貞です。 明治8年(1875年)に、新田氏子孫の新田俊純氏を中心とした有志の方達によって創建されました。 ...続きを見る

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2011/07/24 22:11
リスト追加
ネットでいろいろと検索していたら、千葉県南房総市千倉町の安房里見氏所縁の寺院の情報をいくつか入手できました。 いずれ訪ねる予定のリストに追加しました。 ...続きを見る

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2011/07/22 21:24
大ケヤキ
群馬県太田市金山の新田神社参道には、推定樹齢800年の大ケヤキがあります。 横にあった説明板によると「新田神社の御神木として扱われたと考えられています」とのことです。 現在は、御神木ではないということなのでしょうか!? ...続きを見る

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2011/07/18 22:27
廃墟
群馬県太田市金山には、金山城跡があります。 現在休憩所として使われている場所と少し離れた所に、かつて休憩所だったと思われる場所がありました。 ...続きを見る

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2011/07/14 22:06
源義教公生誕&命日
7月12日(新暦)は、室町幕府第六代将軍足利義教が生まれた日であり、亡くなった日でもあります。 義教は、応永元年6月14日(1394年7月12日)に第三代将軍足利義満の三男として生まれ、僧籍に入っていました。 第五代将軍足利義量が早死にしたため、義量の父で、義教の兄である第四代将軍足利義持が将軍政務を代行しました。 義持は後継者を指名せずに亡くなったため、義持の弟達の中からクジ引きで将軍を選ぶことになり、選ばれたのが義教でした。 義教は、将軍権力の強化を推し進め、有力大名を何人も討伐しま... ...続きを見る

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2011/07/12 20:25
今年はないのか・・・
里見の郷推進実行委員会のホームページを時々閲覧しているのですが、2年間続いた「里見の郷フェスティバル」について、今年はわずかしか触れられていません。 鳥取県倉吉市の関金子供歌舞伎を誘致する計画があったそうですが、諸事情によって中止になったとのこと。 震災の影響等で、フェスティバル自体も中止なのかもしれません。 フェスティバルの一環として開かれる里見氏関連の歴史講演会が楽しみで、今年は何とか休みを取って、行きたいと思っていたのですが・・・。 ...続きを見る

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2011/07/09 22:51
新田金山城
群馬県太田市金山には、金山城跡があります。 金山城は、文明元年(1469年)に、岩松家純によって築かれました。 岩松氏は、清和源氏新田氏の一門で、新田宗家滅亡後に新田氏の惣領格となった家柄です。 享禄元年(1528年)に、岩松氏は、家老の横瀬氏の下剋上により金山城を奪われてしまいました。 横瀬氏は、由良氏と改名し戦国大名化しました。 天正12年(1584年)に、由良氏は北条氏の配下になり、金山城は北条氏の支配となりました。 天正18年(1590年)に、豊臣秀吉による小田原征伐があり、... ...続きを見る

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2011/07/07 21:33
鞍懸様
千葉県館山市山本には、地元の人から「鞍懸様」と呼ばれて祀られている碑があります。 源頼朝が安房に落ちてきた時に、この地に立ち寄り、馬の鞍を松の木に懸けて休息したと伝えられています。 古い碑明治29年(1896年)に建立されました。 ...続きを見る

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2011/06/29 21:24
源義貞公旗揚げの日
6月28日(新暦)は、上野国の御家人新田義貞が鎌倉倒幕の旗揚げをした日です。 旗揚げ理由には諸説あり、「新田庄にやってきた幕府の徴税使を怒りにまかせて斬り捨ててしまって、切羽詰まって旗揚げをした」とか「足利尊氏の指示で旗揚げをした」等があります。 尊氏の嫡男千寿王の軍勢と合流したことで、その後加わる者が急激に増えたと伝えられています。 加わった武士達の多くは、義貞が千寿王を擁して旗揚げをしたと思っていたとも伝えられています。 ...続きを見る

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2011/06/28 21:52
里見氏&正木氏の供養塔
千葉県鴨川市小湊には誕生寺という日蓮宗の寺院があり、安房国を支配した大名の里見義頼、里見義康、里見忠義とその配下の正木頼忠の供養塔があります。 誕生寺は、日蓮の生誕地に建立された寺院です。 正木氏は、日蓮宗に深く帰依しておりました。 誕生寺の寺領は、正木氏によって寄進されて、里見氏が安堵したものです。 ...続きを見る

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2011/06/21 22:36
源義輝公命日
6月17日(新暦)は、室町幕府第十三代将軍足利義輝が亡くなった日です。 義輝は、第十二代将軍足利義晴の嫡男として生まれ、11歳の時に義晴から将軍職を譲られました。 元服時は「義藤」と名乗っていましたが、天文23年(1554年)に「義輝」に改めました。 義輝は、政治力に優れ、衰退した幕府権力の復活強化に努めましたが、それを良しとしない勢力に永禄8年5月19日(1565年6月17日)に襲撃され命を落としました。 歴代将軍の中でも特に武勇にも優れていたと伝えられていますが、多勢に無勢では仕方な... ...続きを見る

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2011/06/17 21:58
太平寺跡
神奈川県鎌倉市西御門には、鎌倉尼五山第一位だった太平寺が建っていました。 弘治2年(1556年)に、戦国大名の里見義弘が鎌倉を攻めた際に、住持の青岳尼を連れ去りました。 青岳尼は、還俗して義弘の妻となりました。 青岳尼は、鎌倉を出る時に、太平寺の寺宝の観音像も持って行ってしまいました。 当時鎌倉の地を支配していた北条氏は、この事件に怒って太平寺を廃寺にしてしまったと伝えられています。 観音像は、後に鎌倉に戻り、現在は鎌倉市山ノ内の東慶寺に安置されています。 青岳尼は、安房国で没し、千... ...続きを見る

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2011/06/10 23:47
源尊氏公命日
6月7日(新暦)は、室町幕府初代将軍足利尊氏が亡くなった日です。 尊氏は、鎌倉幕府の有力御家人であり源氏の棟梁である足利貞氏の二男として生まれましたが、兄が亡くなったため家督を継承しました。 後醍醐天皇の倒幕運動鎮圧のために出兵していた尊氏は、幕府に反旗を翻し、諸国の源氏に軍勢催促状を送って六波羅探題を攻め落としました。 時を同じくして、関東では新田義貞が鎌倉攻めを行い、追い詰められた北条一門は東勝寺に籠って自刃し、鎌倉幕府は滅亡しました。 義貞の鎌倉攻めは、尊氏の嫡男千寿王が参陣したお... ...続きを見る

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2011/06/07 23:32
源氏姫命日
6月6日(新暦)は、最後の古河公方足利義氏の娘の足利氏姫の亡くなった日です。 義氏が死去した時、義氏の嫡男が早世していたため、氏姫が家督を継ぎました。 氏姫は、豊臣秀吉の計らいで、小弓公方家の足利国朝を婿養子に迎えました。 小弓公方家は古河公方家の分家ですが、長年敵対していました。 氏姫と国朝が結婚したことによって、両公方家が統一されました。 しかし国朝は早々に病死してしまい、国朝の弟で僧籍に入っていた足利頼氏が還俗して再度氏姫の婿養子になりました。 国朝は秀吉から下野国喜連川に領地... ...続きを見る

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2011/06/06 21:38
通りすがりに見つけたお寺 2
神奈川県鎌倉市西御門には、満光山来迎寺という時宗の寺院があります。 永仁元年(1293年)の創建で、開山は一向上人です。 ...続きを見る

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2011/06/02 22:06
源義満公命日
5月31日(新暦)は、室町幕府第三代将軍足利義満が亡くなった日です。 義満は、初代将軍足利尊氏が亡くなってから丁度100日目という区切りの良い日に生まれたので、足利尊氏の生まれ変わりだとも言われました。 南北朝の統一を成し遂げ、室町幕府の支配力を全国レベルに強化し、朝廷も抑えて権力の頂点に君臨しました。 応永15年5月6日(1408年5月31日)に急な病で死去しました。 毒殺説もあります。 ...続きを見る

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2011/05/31 22:05
源義実公命日
5月18日(新暦)は、安房里見氏初代の里見義実が亡くなった日です。 以前は「結城の合戦」の落ち武者として房州にやってきて、安房を支配していた豪族にうまく取り入って力をつけ、やがて安房を平定するまでになったというのが通説でした。 最近では、鎌倉公方足利成氏の命令で、関東管領上杉氏の勢力圏だった安房を足利氏の勢力圏にするために派遣されたという説が有力となっています。 義実は、系図上では上野里見氏(里見氏の総本家)の嫡流ということになっているものが多いのですが、最近では庶流の美濃里見氏の流れだと... ...続きを見る

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2011/05/18 23:15
鎌倉の象徴
神奈川県鎌倉市梶原の源氏山公園には、源頼朝の銅像があります。 鎌倉の象徴として、頼朝の鎌倉入り800周年の年に作られました。源氏山の由来については2007年1月27日の記事で書いているので省略します。 その記事でも頼朝の銅像の写真を載せているのですが、雨の日に撮ったものなので、新たに晴れの日に撮ったものを今回載せました。 ...続きを見る

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2011/05/12 22:42
源頼朝公生誕記念日
5月9日(新暦)は、鎌倉幕府初代将軍源頼朝の誕生日です。 ...続きを見る

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2011/05/09 23:46
七口の一つ 2
神奈川県鎌倉市扇ガ谷には、「化粧坂」と呼ばれる道があります。 「仮粧坂」と書くこともあります。 鎌倉七口と呼ばれる道の一つで、鎌倉の中心から武蔵国に向かう出口になっていました。 坂の上は、市や商店で賑わっていたと伝えられています。現在もアスファルトやコンクリート等で舗装されておらず、ところどころに岩があり、自動車が通ることはできません。 ...続きを見る

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2011/05/06 23:25
太田市観光
群馬県太田市の新田氏関連の史跡巡りをしてきました。 朝早く行くつもりが、思いっきり寝過ごして、出発は9時過ぎでした。 遅れを少しでも取り戻そうと、高速を使用。 最初は調子良かったものの、首都高で何度か渋滞に遭遇。 東北自動車道に入ると、また調子良く進みましたが、パーキングが渋滞。 しばし待った後、誘導にしたがって、やっと駐車できました。 ご当地物のお土産を買おうとしましたが、品数が少な過ぎでした。 代わりに東京や横浜のお土産ばかり置いてありました。 買いたい物が見つからなかったの... ...続きを見る

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2011/04/30 23:58
大姫の守り本尊
神奈川県鎌倉市扇ガ谷には、岩船地蔵堂があります。 鎌倉幕府初代将軍源頼朝の長女の大姫の守り本尊が祀られています。 ...続きを見る

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2011/04/25 22:33
千利休命日
4月21日(新暦)は、茶聖の千利休が亡くなった日です。 利休は、織田信長、次いで豊臣秀吉に仕えましたが、秀吉の勘気に触れ、天正19年2月28日(1591年4月21日)に切腹させられました。 利休の先祖は、里見氏の分家の田中氏だったと伝えられています。 里見氏発祥の地(群馬県高崎市中里見町)には、里見氏の菩提寺の光明寺があり、境内には「茶聖利休居士太祖之瑩域」と書かれた標柱があります。 ...続きを見る

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2011/04/21 23:52
源義教公将軍宣下の日
4月18日(新暦)は、足利義教に征夷大将軍宣下があった日です。 ...続きを見る

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2011/04/18 23:07
なすび記念日
4月17日は「なすび記念日」です。 41(良い)7(ナス)の語呂合わせです。 4月がナスの食べごろであることと、ナスが大好きだった徳川家康の命日が旧暦の4月17日だったことにも由来しています。 ...続きを見る

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2011/04/17 22:43
内乱の古戦場
千葉県館山市腰越には、狐塚と呼ばれる場所があります。 安房里見氏の内乱(天文の内乱)の最後の決戦地になった場所だと伝えられています。 この内乱で、嫡流の里見義豊は敗れて自害し、庶流の里見義堯が家督を継承しました。 撮った時は気づかなかったのですが、自分の車のドアミラーの一部が写っていました(^_^;) ...続きを見る

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2011/04/13 23:44
諏訪山
千葉県館山市正木には、諏訪山公園があり、山頂には諏訪神社が鎮座しています。 延喜元年(901年)に創建されました。 祭神は、建御名方命です。 当時は麓の村に荒波の被害が度々出ており、村人はとても苦しんでいました。 正月八日に、村人の一人が信濃国の諏訪大社の神様の夢を見たので、村人達はお社を建てて祈ったところ、荒波は静まったという伝承があります。 安房里見氏から3石の社領を与えられました。 ...続きを見る

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2011/04/07 22:58
誕生寺の供養塔
千葉県鴨川市内の病院に入院している知人のお見舞いに行ったついでに、小湊山誕生寺という日蓮宗の寺院に行ってきました。 目的は、里見氏と正木氏の供養塔を見ることです。 安房里見氏配下の正木頼忠は、日蓮宗に帰依していました。 誕生寺の公式サイトによると、戦国期の誕生寺の寺領は正木氏によって寄進され、里見氏が安堵したものだそうです。 その縁で、正木氏と里見氏の供養塔が造られたとのこと。 近くに鯛の供養塔もあったので、それも撮影してきました。 せっかく鴨川に行ったついでに、他にも寄りたい所がい... ...続きを見る

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2011/04/06 22:34
源義兼公命日
4月5日(新暦)は、足利義兼の亡くなった日です。 義兼は、源頼朝が平家討伐の挙兵をすると、いち早く駆けつけて頼朝の信頼を得ました。 父方では、頼朝は八幡太郎源義家の曾々孫にあたり、義兼は義家の曾孫にあたります。 母方では、頼朝と義兼は従妹にあたります。 さらに、お互いの妻が姉妹なので、頼朝と義兼は義理の兄弟でもあります。 頼朝から同族扱いを許された門葉となり、幕府内でも高い地位にありました。 あまりにも頼朝に近すぎたために、晩年は頼朝に疑念を抱かれるのを恐れて出家して隠棲しました。 ... ...続きを見る

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2011/04/05 21:06
太平記の里
ネットで注文していた「歴史の旅 太平記の里 新田・足利を歩く」が届きました。 カラーの薄い観光ガイドだと思っていたのですが、モノクロで、予想したよりページ数がはるかに多かったです。 すごく詳しく書いてあるというわけではありませんが、思っていたよりは詳しく書いてあるかなという感じです。 ちょっと気になるのが、足利荘より新田荘の方がページ数がかなり多くなっていることです。 現存する史跡が新田荘より足利荘の方が少ないのかもしれませんし、もしかしたら著者が新田氏寄りという可能性もあるかもしれませ... ...続きを見る

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2011/03/27 23:40
ガイドブック
「歴史の旅 太平記の里 新田・足利を歩く」 というガイドブックをネットで注文。 Amazonで注文しようとしたら「この本は現在お取扱いできません」という表示が・・・。 仕方なく他のネット通販を利用。 問題なく届くと良いのですが・・・。 たまたま足利氏と新田氏について検索していて見つけた本で、発売されたばかりのようでした。 タイトルが「足利・新田を歩く」ではなくて「新田・足利を歩く」となっているのが足利党としては少し残念です。 ...続きを見る

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2011/03/24 22:29
源義勝公誕生日
3月19日は、室町幕府第七代将軍足利義勝の生まれた日です。 義勝は、永享6年2月9日(1434年3月19日)に第六代将軍足利義教の嫡男として生まれました。 義教が嘉吉の乱(1441年)で暗殺されたため、わずか9才で将軍職を継ぎました。 義勝は、将軍職を継いでからわずか8ヶ月で、病死したと伝えられています。 ...続きを見る

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2011/03/19 22:11
源義量公命日
3月17日は、室町幕府第五代将軍足利義量が亡くなった日です。 義量は、第四代将軍足利義持の嫡男として生まれました。 16才の時に、父義持から将軍職を譲られました。 病弱だったと伝えられ、応永32年2月27日(1425年3月17日)に19才で早世しました。 ...続きを見る

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2011/03/17 23:40
姫塚
千葉県館山市正木の田園地帯の一画には、古くから安房里見氏の姫君の墓と伝えられている墓石があります。 しかし、詳しくは何もわかっておりません。 ...続きを見る

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2011/02/20 23:30
足利&新田
職場で唱歌「鎌倉」の歌詞に沿って、今までに撮影した鎌倉の写真の説明をしました。 唱歌「鎌倉」の中には、新田義貞徒渉伝説のことが少し出てきます。 稲村ケ崎の写真を見せながら徒渉伝説のことを詳しく説明したら、お客様達は新田義貞の大ファンになってしまいました。 足利派の自分としては、ちょっと複雑な気分です。 せっかくお客様が喜ばれていたので、義貞の末路については語りませんでした。 ...続きを見る

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2011/02/17 21:33
源実朝公命日
2月13日(新暦)は、鎌倉幕府第三代将軍源実朝が亡くなった日です。 建保7年1月27日(1219年2月13日)、鶴岡八幡宮で右大臣拝賀の式典に参加した実朝は、帰る途中に甥の公暁に斬り殺されました。 公暁は第二代将軍源頼家の次男で、実朝の猶子となって、鶴岡八幡宮の別当職に就いていました。 公暁が犯行に及んだ動機は、北条氏の策謀や三浦氏の策謀等いくつかの説があります。 公暁は三浦義村に使いを出して迎えを待ちましたが、なかなか迎えが来ないので、実朝の首を持って義村の館に向かいました。 義村は... ...続きを見る

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2011/02/13 23:53
刑場址
千葉県館山市国分には、安房万石騒動の首謀者となった名主達の処刑された場所があります。 正徳元年(1711年)に安房北条藩一万石の領内において、27ヶ村が参加する大規模な農民一揆が起こりました。 藩主の屋代忠位から藩政改革を委ねられた家老の川井藤左衛門は、過酷な政策を農民に強いました。 農民達の反発は凄まじく、江戸藩邸や元老中に直訴する者もありました。 川井は農民側の代表3名を処刑しますが、農民側は余計に勢いを増し、再度直訴に及びました。 幕府の裁断により、藤左衛門とその子供は死罪、藩主... ...続きを見る

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2011/02/12 23:30
源義朝公命日
2月11日(新暦)は、源頼朝の父の源義朝が亡くなった日です。 義朝は、清和源氏の中の河内源氏の嫡流とされてきましたが、近年では庶流であったという説が有力です。 弟の義賢が任官した時に、兄の義朝が無位無官だったというのが、この説の裏づけです。 しかし、「勝てば官軍」的思想が武士の世の中。 義朝の嫡男の頼朝が清和源氏の最大勢力になったことで、頼朝へと続く血筋が清和源氏の嫡流ということになりました。 義朝は、平治の乱に敗れて東国へと敗走中に家臣の裏切りで平治2年1月3日(1160年2月11日... ...続きを見る

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2011/02/11 23:45
源義重公命日
2月8日(新暦)は、清和源氏新田氏始祖の新田義重が亡くなった日です。 義重は、八幡太郎源義家の三男の源義国の庶長子です。 弟は、義国の嫡男の足利義康です。 義重は、源頼朝の挙兵時には独自の動きを見せ、頼朝の軍にはなかなか参陣しませんでした。 この時、義重の三男の山名義範、孫の里見義成、甥の足利義兼は逸早く頼朝の配下に入り、頼朝から厚遇されました。 遅れて頼朝の下にやってきた義重は冷遇され、そのことが子孫にも影響し、新田氏は幕府内では地方の一御家人に過ぎない存在でした。 もし、義重が逸... ...続きを見る

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2011/02/08 23:48
山火事
千葉県館山市那古の那古山が火事になったと、同地区に住む親戚から電話がありました。 那古山には、那古寺という古刹があり、坂東三十三ヶ所観音霊場の結願の寺としても知られています。 源頼朝も源氏の再興を祈願したことのある寺で、戦国期には安房里見氏から厚く保護されました。 親戚の話しによると、焼けたのは山頂付近の山林だそうで、那古寺の貴重な建物は無事だったそうです。 親戚の話しからは火災の原因はわからなかったのですが、観光客のタバコのポイ捨てが怪しいと思います。 ...続きを見る

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2011/02/06 23:30
新田は無し
録画しておいた「歴史秘話ヒストリア」を視聴。 今回は「後醍醐天皇」のお話しでした。 足利尊氏や楠木正成や名和長年の名前は出てきましたが、新田義貞の名前は一度も出てきませんでした。 後醍醐天皇は鎌倉倒幕を企てて、全国に綸旨を発した人です。 直接鎌倉を攻め滅ぼし、終始後醍醐天皇に忠節を尽くした義貞が出てこなかったのは少々可哀想な気がしました。 ...続きを見る

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2011/02/05 22:22
苔の感じの良い寺
千葉県館山市山本には、御嵩山金乗院という真言宗智山派の寺院があります。 明応4年(1495年)の開山と伝えられています。 本尊は不動明王です。 安房里見氏から、4石の寺領を与えられていました。 ...続きを見る

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2011/01/29 23:09
源義政公命日
1月27日(新暦)は、室町幕府第八代将軍足利義政が亡くなった日です。 義政は、東山文化の象徴である銀閣を建てたことで有名です。 義政は初期のころは積極的に政治に参加しましたが、次第に政治に無関心になっていき、応仁の乱の時にも何の対策も講じなかったために全国的な大乱となってしまいました。 晩年は東山に篭って趣味の世界に暮らしました。 義政は、延徳2年1月7日(1490年1月27日)に死去しました。 ...続きを見る

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2011/01/27 23:22
源義政公誕生日
1月20日(新暦)は、室町幕府第八代将軍足利義政の誕生日です。 義政は、永享8年1月2日(1436年1月20日)に、第六代将軍足利義教の次男として生まれました。 兄である第七代将軍足利義勝が早世したため、義政が第八代将軍に就任しました。 義政は、東山文化の象徴である銀閣を建てたことで有名です。 銀閣は高校の修学旅行で一度行ったことがあります。 なかなか関東を出る機会がないのですが、いつかゆっくりと京都の源氏所縁の場所を回りたいものです。 関東にも銀閣そっくりの建物があります。 栃木... ...続きを見る

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2011/01/20 23:22
鎌倉初詣計画2011
冬休みが終わって観光客が少なくなったころに鎌倉に出かけるのが恒例となっています。 今年もそろそろ計画を練ろうと、いろいろと検索。 一番行きたい長寿寺は、季節&曜日限定拝観で、どうやら1月は拝観できないようです。 門の外からでも観たいので、とりあえずここには行くつもりです。 最初は鶴岡八幡宮に詣でて、長寿寺に行って、再び八幡宮方面に戻りながら目についた寺院等を訪ねるつもりです。 その後は頼朝公の墓参りをし、報国寺で竹の庭を眺めながら抹茶をいただき、まだ時間があればその時の思いつきでどこか... ...続きを見る

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2011/01/09 23:19
頼朝が沸かした井戸
千葉県館山市神余には、矢刺(挿)井戸という湧き水があります。 周辺には、「中間」という名字の家が何軒かあります。 かつて源頼朝が安房国に落ちてきた時に、お世話をした六平という農夫を先祖に持つ家です。 六平は、頼朝主従に持てる限りの最高のもてなしをしました。 そのもてなしに感激した頼朝は、六平に家の周辺の土地と「中ノ間」という名字を与えました。 六平が頼朝主従を泊めた部屋が「中の間(家の中で一番良い部屋)」だったからです。 頼朝は、六平の家を去る時に白羽の矢を1本地面に挿しました。 ... ...続きを見る

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2011/01/05 23:53
藤原道長公命日
1月3日(新暦)は、栄華を極め「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」という歌を残した藤原道長の亡くなった日です。 ...続きを見る

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2011/01/03 20:51
源義氏公命日
本日は1月2日ですが、1日前の1月1日(新暦)は源氏の武将の命日でした。 室町幕府を開いた足利尊氏の五代前の先祖の足利義氏が亡くなった日です。 ...続きを見る

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2011/01/02 22:23
源義詮公命日
12月28日(新暦)は、室町幕府第二代将軍足利義詮の亡くなった日です。 ...続きを見る

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2010/12/28 23:44
護摩堂
千葉県館山市北条には、金剛山不動院という真言宗智山派の寺院があります。 安房里見氏から、10石の寺領を与えられていました。 天正17年(1589年)に里見義康によって護摩堂が創建され、不動尊が安置されました。 ...続きを見る

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2010/12/26 23:55
源義康公命日
12月18日(新暦)は、安房国館山藩初代藩主の里見義康が亡くなった日です。 里見氏は、安房、上総の両国と下総の一部を領有する大名でしたが、豊臣秀吉の小田原征伐時に、義康が足利頼淳を奉じて鎌倉公方再興を掲げたことで惣無事令違反に問われて、上総と下総の所領を没収されてしまいました。 領地こそ減らされたものの、秀吉や徳川家康からは厚遇を受けていたようです。 関ヶ原の戦い時は、結城秀康の軍に従軍し、恩賞として常陸国鹿島3万石を加増されました。 安房と合わせて12万石となり、関東では最大の外様大名... ...続きを見る

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2010/12/18 23:04
源氏満公命日
12月12日(新暦)は、第二代鎌倉公方足利氏満の亡くなった日です。 氏満は、父である初代鎌倉公方足利基氏の死去により後を継ぎました。 野心が強く、京都の将軍家(室町幕府第三代将軍足利義満)に対して謀反を企てようとしたましたが、関東管領上杉憲春が諫死したために諦めました。 鎌倉公方家と室町将軍家の対立は、この後何代も続いていくことになりました。 氏満は、応永5年11月4日(1398年12月12日)に病死し、鎌倉の永安寺(現在は廃寺)に葬られました。 神奈川県鎌倉市二階堂の瑞泉寺は鎌倉公方... ...続きを見る

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2010/12/12 23:21
源義尚公生誕545周年
12月11日(新暦)は、室町幕府第九代将軍足利義尚が誕生した日です。 義尚は、第八代将軍足利義政と正室日野富子の次男として生まれました。 義政の長男は早世しており、その後は長らく子ができなかったので、義政の弟の足利義視が次期将軍候補になっていました。 しかし、寛正6年11月23日(1465年12月11日)に義尚が誕生してしまいました。 日野富子は実子である義尚を将軍にしたいと思い、義視と対立するようになりました。 義尚派には四職の家柄でもある有力守護大名の山名持豊(宗全)が付き、義視派... ...続きを見る

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2010/12/11 23:50
謀反人追討
新暦の12月4日は、後白河法皇が源頼朝に源義経追討の院宣を下した日です。 ...続きを見る

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2010/12/04 23:35
上総武田氏所縁の寺院
千葉県富津市亀沢の国道127号線沿いに大安山天祐寺という曹洞宗の寺院があります。 室町期に上総武田氏の一族の真里谷(武田)信嗣が創建したと伝えられています。 ...続きを見る

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2010/12/02 23:11
愛宕山
千葉県君津市愛宕にある愛宕山には、愛宕神社が鎮座しています。 明治初期まで愛宕大権現と称しました。 天永2年(1111年)に創建されたと伝えられています。 祭神は、埴山比売命、軻遇突智命、水波能売命です。 安房里見氏の治世に、里見義堯が300石を寄進しました。 慶長7年(1602年)に、当時の久留里藩主の土屋忠直が14石を寄進しました。 ...続きを見る

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2010/11/27 23:57
源豊国公命日
11月25日は、江戸幕府交代寄合の山名豊国の亡くなった日です。 山名氏は、清和源氏新田氏の一族ですが、早くから源頼朝に仕えて、頼朝と同族の扱いを許されていました。 鎌倉幕府滅亡後は、足利氏に従い、室町幕府の四職の家柄となりました。 豊国は、山名氏の分家(因幡守護家)の当主でした。 嫡流(但馬守護家)の山名堯政が関ヶ原の戦いで豊臣方に味方した挙句に戦死してしまい、豊国は徳川方に味方したので但馬国村岡に6700石を与えられて実質的に山名氏嫡流の扱いとなり、徳川御三家と並んで屋形号の使用も許さ... ...続きを見る

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2010/11/25 23:35
小弓御所源義明
「小弓公方足利義明」という本が出版されていることを知りました。 早速注文。 足利将軍家も好きですが、関東に住んでいるせいか、関東足利家の方が愛着があります。 ...続きを見る

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2010/11/23 23:31
古久留里城の下に位置する寺院 1
千葉県君津市久留里市場には、天文9年(1540年)に上総武田氏一門の勝(すぐろ)真勝が創建した真勝寺という曹洞宗の寺院があります。 真勝寺の横の山は、上総武田氏の祖の武田信長が築城した久留里城の跡地です。 現在の久留里城とは位置が少しずれています。 久留里城は、安房里見氏の支配下になった時に、場所を少しずらして新たに建て直されました。 武田氏の築城した久留里城は、便宜上「古久留里城」と呼ばれます。 真勝は、里見氏の久留里侵攻時に降伏して無血開城し、里見氏から1000石を賜って小沢という... ...続きを見る

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2010/11/19 23:17
源氏つながり
安房里見氏所縁の史跡を検索していたら、千葉県館山市の地区ごとの史跡を紹介しているサイトを発見。 その中に、源頼朝伝承の碑を発見。 頼朝が立ち寄った時に、馬の鞍を外して松の木に懸けて休憩したという伝承のある地に建てられた碑で「鞍懸大神」として祀られているとのこと。 頼朝関係の本は何冊か持っているのですが、どの本にも載っていない史跡でした。 サイトには、手書きの地図がありました。 それによると安房里見氏の菩提寺の一つの源慶院が近くにありました。 源慶院には一度行ったことがあります。 道... ...続きを見る

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2010/11/18 19:45
電話帳で名家探し
何気なく電話帳に目が止まったので、源氏の名字を探してみました。 「里見」なんて名字があると、「安房里見氏の子孫かもしれないな」と思ってしまいます。 「今川」や「宮原」や「畠山」なんて足利一門の名字を見つけると嬉しくなります。 さすがに宗家の「足利」という名字は発見できませんでした。 足利氏とライバル視される新田氏宗家の「新田」という名字を発見。 しかも新田義○(○に入る文字は、一般の個人名なので伏せておきます)という名前です。 「新田」という名字と「義」の付く名前なんて、いかにもな感... ...続きを見る

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2010/11/15 17:07
安房里見氏菩提寺巡り 17−2
千葉県君津市久留里市場には、福徳山東陽院正源寺という浄土宗の寺院があります。 以前に1度訪ねたことがあったのですが、その時は遅くなってしまって夜の写真しか撮れなかったので、7月に再度行ってきました。 ...続きを見る

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2010/11/14 23:37
いろいろと史跡巡り 2
3日前に千葉県館山市内の史跡巡りをしたのですが、本日も館山市内の史跡巡りに行ってきました。 ...続きを見る

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2010/11/13 20:02
いろいろと史跡巡り
先月、先祖が源頼朝から名字をもらったという人とたまたまお話しをすることができました。 その人の実家は千葉県館山市神余にあるそうです。 神余には「中間」という名字の家が何件かあります。 頼朝が安房に落ちてきた時に家に泊めてあげて、泊めた部屋が中の間だったことから「中間」という名字をもらったと伝えられています。 中間さんの家のすぐ近くには、頼朝が刺した矢から湧いたと伝わる井戸があります。 その井戸を訪ねたいという話しをしたのですが、なんとその中間さんの分家が実家だというのです。 とても驚... ...続きを見る

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2010/11/12 23:17
源義興公命日
11月11は、新田義貞の次男の新田義興が亡くなった日です。 ...続きを見る

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2010/11/11 02:43
3つの伝承を持つ橋
千葉県千葉市中央区港町には、都川という川が流れ、そこに君待橋という橋が架かっています。 かつては新川という小さな川に架かっていましたが、千葉市の都市計画の一環で北方に約200メートル移動して、都川に新たに掛け直されました。 ...続きを見る

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2010/11/08 04:24
お使いで出かけたついでに
親戚の家にお使いに行かされた帰りにたまたま立ち寄った郵便局のすぐ近くに神社を発見。 郵便局の人に聞いたら「白旗神社です」とのこと。 白旗神社は、基本的には源氏の武将や八幡大菩薩を祭神としている神社です。 局内に他にお客がいなかったので、由来も聞いてみたのですが「わかりません」とのことでした。 とりあえず行って撮影してきました。 説明板等もありませんでした。 その後、安房里見氏所縁の寺院の不動院を訪ねて帰りました。 ...続きを見る

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2010/11/06 19:56
源高基公命日
11月3日は、第三代古河公方足利高基が亡くなった日です。 ...続きを見る

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2010/11/03 01:10
源義明公命日
10月29日は、小弓公方足利義明が亡くなった日です。 義明は、第二代古河公方の足利政氏の子で、僧籍に入って空然と名乗っていました。 政氏と第三代古河公方の足利高基が対立するようになると、上総武田氏に擁立されて還俗しました。 義明は、小弓公方を自称し、本家の古河公方と対立するようになりました。 次第に勢力を拡大して本家の古河公方を凌ぐ勢いとなりましたが、天文7年10月7日(1538年10月29日)に北条氏との戦(第一次国府台合戦)で討ち死にしてしまいました。 義明の遺児達は、安房里見氏を... ...続きを見る

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2010/10/29 03:56
霧のドライブ
実習で富津市に行く用事があったので、用事が済んだ後に史跡巡りをしてきました。 まず最初に行ったのは、上総武田氏所縁の天祐寺。 向かう途中で微妙な霧雨になってしまいました。 次に向かったのは、鹿野山。 前回行った時に閉館時間で観られなかった神野寺に行きました。 山間部の道路は、雨は止んだものの、薄暗い上に霧が立ち込めて視界が悪く、運転するのが怖かったです。 しかし、その霧が修験道の聖地らしさを際立たせて良いとも思えます。 神野寺境内も、霧のせいで、モヤっとした写真しか撮れませんでした... ...続きを見る

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2010/10/25 19:50
妙見信仰の頂点
千葉県千葉市中央区院内には、千葉神社が鎮座しています。 主祭神は、北辰妙見尊星王(天之御中主大神)です。 千葉氏の祖である平良文は妙見尊を信仰していました。 良文の孫の平忠常により御分霊が祀られ、忠常の次男の覚算大僧正によって整備されて北斗山金剛授寺尊光院という真言宗の寺院となりました。 千葉氏宗家は、代々金剛授寺で元服しました。 源頼朝も、第二の父と慕った千葉常胤に案内されて、同寺を参拝したと伝えられています。 江戸期には、北斗山妙見寺と改称し、幕府から御朱印200石と10万石の格... ...続きを見る

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2010/10/24 18:18
源氏三代を供養していた千葉氏の菩提寺
千葉県千葉市轟町には、阿毘盧山密乗院大日寺という真言宗豊山派の寺院があります。 本尊は、大日如来です。 建長6年(1254年)に、千葉頼胤によって、下総国馬橋(現:千葉県松戸市馬橋)に源氏三代(源頼朝、頼家、実朝)の霊を供養するために創建されました。 弘安7年(1284年)に、千葉胤宗によって、現在の千葉県千葉市中央区中央1丁目に移されて、千葉氏累代の菩提寺となったと伝えられています。 昭和20年(1945年)に戦災で焼失し、現在地に移転再興されました。 跡地は、通町公園になっています... ...続きを見る

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2010/10/17 18:02
里見氏のドラマ化推進プロジェクト
千葉県の森田健作知事が、戦国大名里見氏のNHK大河ドラマ化に熱を入れています。 フィクションの「里見八犬伝」ではなく、史実の里見氏のドラマ化をしようというものです。 戦国期に里見氏の本拠地だった安房地域には、有志で作られた「里見氏大河ドラマ実行委員会」というものができました。 里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市にも同様の組織があるようです。 さらに、里見氏発祥の地である群馬県高崎市でも同様の組織を作る予定があり、3つの組織が連携して2014年の大河ドラマ化推進の活動を展開するとのこと。 ... ...続きを見る

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2010/10/16 23:18
逆さ柿の保管されている寺
千葉県南房総市犬掛には、岡本山日宣寺という日蓮宗の寺院があります。 本尊は、十界大曼荼羅です。 寛永年間(1624〜1643年)に、安房里見氏の元家臣だった岡本源助宣広が創建したと伝えられています。 岡本宣広は、後に日宣寺の二世住職になりました。 ...続きを見る

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2010/10/10 22:33
源義昭公命日
10月9日は、室町幕府第十五代将軍足利義昭が亡くなった日です。 義昭は、織田信長に擁されて征夷大将軍に就任したものの、信長と反発したため京から追放されてしまいました。 義昭の追放により、室町幕府は終焉を迎えたとされています。 しかし、京を去った後も、征夷大将軍を辞退したり剥奪されたりはせず、西国を転々としながら京への復帰を狙っていましたが、信長の存命中は果たせませんでした。 信長の死後、豊臣秀吉の誘いで京に帰還することができましたが、秀吉の権勢の前に幕府再興は諦めて将軍職を辞しました。 ... ...続きを見る

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2010/10/09 22:39
源貞氏公命日
10月7日は、室町幕府初代将軍足利尊氏の父の足利貞氏の亡くなった日です。 貞氏は、五代前の先祖の足利義兼が創建した浄妙寺(創建時の名称は極楽寺)を中興開山したと伝えられています。 元弘元年/北朝暦:元徳3年9月5日(1331年10月7日)に59歳で死去しました。 浄妙寺境内に足利貞氏の墓と伝わる宝篋印塔があります。 ...続きを見る

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2010/10/07 23:57
血筋
「我が家は里見義弘の三男の血筋だ」と言う人に偶然会いました。 一応、代々伝わる家系図があるとのこと。 話しを聞いてみると「我が家は由緒正しき平家の末裔だ」とも言っていました。 これは、おかしなことです。 里見氏は平氏ではなく、源氏です。 少ししかお話しできなかったので、詳細はわかりませんでした。 単なる勘違いなのかもしれませんし、御先祖の方が家名を上げるために適当なことをでっちあげたのかもしれません。 せっかく自慢しているところに、里見氏の出自を詳しく説明して気分を害してしまっても... ...続きを見る

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2010/10/04 23:50
安房里見氏菩提寺巡り 22
千葉県館山市正木には、正木山西光寺という曹洞宗の寺院があります。 里見義康によって、天正年間(1573〜1593年)に里見氏歴代の菩提を弔う寺として創建されました。 本尊は、十一面観音菩薩です。 ...続きを見る

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2010/10/01 22:34
源尊氏公征夷大将軍宣下の日
9月24日は、室町幕府初代将軍足利尊氏が征夷大将軍宣下を受けた日です。 ...続きを見る

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2010/09/24 23:55
熊野神社(大津)の境内社
千葉県南房総市富浦町大津には、かつて諏訪神社がありました。 安房里見氏から4石8升の社領を与えられていました。 現在は、同じく大津にある熊野神社に合祀されて境内社となっています。 熊野神社は、里見氏の居城だった宮本城が建っていた山の麓に位置しています。 ...続きを見る

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2010/09/21 19:58
源実朝公誕生日
9月17日は、鎌倉幕府第三代将軍源実朝の生まれた日です。 ...続きを見る

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2010/09/17 21:22
石尊様
千葉県鴨川市平塚の高蔵山山頂には、高蔵神社が鎮座しています。 祭神は、日本武尊です。 神亀元年(724年)に、良弁僧正によって、中腹にある大山寺と共に創建されたと伝えられています。 初めは大山祇命を祀って、大山神社と呼ばれていました。 天保11年(1840年)に、正一位に叙せられて、石尊大権現高蔵神社と改称されました。 源氏一族とも所縁があり、源頼朝が寺領を寄進し、足利尊氏も寺領を寄進したり社殿や石段等を造営しています。 ...続きを見る

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2010/09/15 23:48
頼朝公大敗の日
9月14日は、石橋山の合戦があった日です。 ...続きを見る

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2010/09/14 22:50
頼朝公挙兵の日
9月8日は、源頼朝が平家追討の挙兵をした日です。 ...続きを見る

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2010/09/08 23:54
大山不動
千葉県鴨川市平塚には、高蔵山大山寺という真言宗智山派の寺院があります。 山の中腹にあり、かつては山頂にある高蔵神社の別当寺でした。 神亀元年(724年)に良弁僧正によって開基されたと伝えられています。 本尊は、不動明王です。 治承4年(1180年)に、安房に落ちてきた源頼朝が立ち寄り戦勝祈願をしました。 戦国期には、安房里見氏から36石余の寺領を与えられていました。 もともとは天台宗の寺院でしたが、明治5年(1872年)に真言宗に改宗されました。 ...続きを見る

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2010/09/06 22:11
安房里見氏菩提寺巡り 21
千葉県鴨川市宮山には、富川山龍雲院長安寺という曹洞宗の寺院があります。 本尊は華厳三聖です。 安房里見氏から115石の寺領を与えられていました。 永正3年(1506年)に正木時忠が創建したとする説と、天文9年(1540年)に正木時茂が創建したとする説があります。 時茂の菩提寺です。 時茂の娘で、里見義頼の側室(里見義康の母)の龍雲院の菩提寺でもあります。 龍雲院は、義頼の死去後は「御隠居様」と呼ばれ、里見家で絶大な権勢を誇りました。 ...続きを見る

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2010/08/31 19:51
安房里見氏菩提寺巡り 番外編5
千葉県鴨川市貝渚には、壽慶山心巖寺光明院という浄土宗の寺院があります。 文永2年(1256年)に記主禅師によって北風原村(現:鴨川市北風原)に創建されました。 兵火で焼失したため、天正5年(1577年)に安房里見氏の家臣正木石見守道俊(頼房)によって磯村(現:鴨川市磯村)に移転開基されました。 その後、火災や震災で荒廃し、昭和5年(1930年)に第二十四世住職の達穏上人によって現在地に移転されました。 本尊は阿弥陀如来です。 境内には、正木道俊と妻(里見義弘の長女)の供養塔があります。... ...続きを見る

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2010/08/25 23:27
頼朝公征夷大将軍宣下の日
8月21日は、鎌倉幕府の創始者の源頼朝が征夷大将軍の宣下を受けた日です。 ...続きを見る

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2010/08/21 16:29
頼朝が与えた島
千葉県鴨川市太海の沖合い約200mの所に仁右衛門島という小島があります。 かつては波太島と呼ばれていました。 治承4年(1180年)に、源頼朝が安房に落ちてきました。 安房の武士を配下に従える過程で、鴨川に入った頼朝は、平家方の武将に襲われてしまいました。 頼朝は、仁右衛門という漁師の案内で、波太島にある洞窟に一時姿を隠しました。 窮地を脱した頼朝は、仁右衛門に波太島を「仁右衛門島」と改名して与え、さらに周辺の漁業権と「平野」の名字を与えました。 以来、平野家当主は代々「仁右衛門」を... ...続きを見る

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2010/08/18 19:45
源義貞公命日
8月17日は、南朝の忠臣として活躍した新田義貞が亡くなった日です。 新田氏は源氏嫡流を称する足利氏と祖先を同じとする同族でしたが、足利氏の一門として従ってはいませんでした。 鎌倉倒幕については目的こそ足利氏と同じだったものの、南北朝内乱時は後醍醐天皇方について、足利氏とは敵対しました。 新田氏の一門の中には、新田宗家に従わずに、早くから足利氏を棟梁と仰いで配下に入っていた一族もいます。 南朝方は次第に衰退していき、新田氏は勢力を盛り返すために北国に落ちていきます。 延元3年(1338年... ...続きを見る

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2010/08/17 20:18
安養院命日
8月16日は、鎌倉幕府初代将軍源頼朝の正室の北条政子が亡くなった日です。 法名は、安養院です。 第四代将軍九条頼経の幼少時に、後見役として尼将軍と呼ばれました。 嘉禄元年(1225年)に病死し、勝長寿院(神奈川県鎌倉市雪ノ下)に葬られたと伝えられています。 寿福寺(鎌倉市扇ヶ谷)にも、政子の墓と伝わる供養塔があります。 実家の覇権のためにわが子を手にかけた悪女なのか? それとも、わが子の暗殺には全く関わっておらず、夫や子供達に先立たれた悲しき女性だったのか? それが、とても気になり... ...続きを見る

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2010/08/16 22:55
源頼家公命日
8月14日は、鎌倉幕府第二代将軍の源頼家が亡くなった日です。 元久元年(1204年)、伊豆の修善寺にある修禅寺に幽閉されていた頼家は、入浴中に北条氏の刺客に襲われて命を落としました。 頼家の抵抗は凄まじく、睾丸を掴んで刺し殺したと伝えられています。 修禅寺は、源氏とはマイナスの縁が深く、建久4年(1193年)にも源頼朝の異母弟の源範頼が流されています。 範頼は、やはり北条氏により誅殺されたと伝えられていますが、生き延びたとする説もいくつかあります。 ...続きを見る

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2010/08/14 20:27
初代と三代の不思議な縁!?
8月12日は、江戸幕府初代将軍徳川家康と三代将軍徳川家光にとても所縁のある日です。 天正18年7月13日(1590年8月12日)に、家康は豊臣秀吉から国替えを命じられました。 この出来事があったからこそ、幕府が江戸に開かれ、今日の東京の発展があります。 命じられた時は、家康も内心では怒り心頭だったかもしれませんね。 結果的には、良い記念日となったのかもしれません。 家光の誕生日は、慶長9年7月17日(1604年8月12日)です。 旧暦では4日ずれていますが、西暦では家康が国替えを命じ... ...続きを見る

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2010/08/12 22:28
里見氏の怨霊伝説!?
千葉県館山市館山の館山城跡には、毎年9月9日(安房里見氏が国替えになった日)になると、鬨の声が聞こえて鬼火が灯ったという伝説が残されています。 文政8年(1825年)になって、館山城跡から観音様が掘り起こされ、それ以来怪事はなくなったと伝えられています。 その観音様が、手持ちの本によると、館山市広瀬の釈迦寺という臨済宗建長寺派の寺院に安置されているそうです。 しかし、ネットで拾った情報では、釈迦寺の近くにある別の御堂に安置されていると書かれていました。 どちらが正しいのでしょうか? ... ...続きを見る

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2010/08/11 21:24
源家時公命日
8月7日は、室町幕府の開祖足利尊氏の祖父の足利家時の命日です。 足利氏には、先祖の源義家から伝わる置き文があったと言われています。 置き文の内容は、義家が「7代目の子孫に生まれ変わって天下を取る」というものです。 家時は、その7代目の子孫になります。 しかし、家時は自分の代で北条氏を倒して天下を取ることは無理と諦めて、新たな置き文を残して自害したと伝えられています。 新たな置き文の内容は、「自分の命を縮めて、代わりに3代目の子孫に天下を取らせて下さい」というものでした。 最初の義家の... ...続きを見る

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2010/08/07 16:39
年宮大明神
千葉県館山市山荻には、山荻神社が鎮座しています。 かつては年宮(としのみや)大明神と呼ばれていました。 祭神は、稚産霊命(わくむすびのみこと)です 和銅5年(712年)の創建と伝えられ、古くから五穀豊穣を祈る筒粥神事が行なわれています。 安房里見氏から8石の社領を与えられていました。 隣接する福楽寺が別当寺でした。 明治期に改称して山荻神社となりました。 ...続きを見る

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2010/08/05 16:10
建長寺領
親戚の住んでいる地区(一部だと思います)が、室町時代初期に足利尊氏によって鎌倉の建長寺に寄進されていたことがわかりました。 わりと身近に足利氏に関係するものがあったのはうれしいのですが、現在は特に足利氏と所縁のある史跡は残っておりません。 今度親戚の家に行った時にでも、周辺の景色だけでも撮ろうと思いました。 ...続きを見る

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2010/07/30 22:12
源忠義公命日
7月27日は、大名としての安房里見氏最後の当主里見忠義が亡くなった日です。 安房国から伯耆国倉吉に国替えとなり、その地で病死しました。 安房復帰を夢見ながら失意の内に亡くなったと伝えられています。 国替えがなければ、もっと長生きしていたのかもしれません。 忠義の死去にともない、跡継ぎがいないという理由で、里見家は取り潰されました。 もしも幕末まで大名として里見家が存続していたらどうなっていたのでしょうか? 「南総里見八犬伝」が書かれることはなくなり、全国的な知名度はかなり下がったかも... ...続きを見る

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2010/07/27 23:20
微妙に嬉しく、激しく残念
ニュースサイトの情報で、2012年の大河ドラマは平清盛が主人公になるらしいことが書いてありました。 源頼朝が好きなので、この時代のドラマ化は嬉しいです。 残念なのは、頼朝の敵側が主人公ということです。 もちろん頼朝も出てくるはずですが、出番は少ないと思います。 個人的には、頼朝が主人公でやってほしかったです。 ...続きを見る

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2010/07/24 22:09
広(光)徳院跡
千葉県館山市沼には、真言宗智山派の総寺院が管理する坊ヶ下霊園があります。 この地には、かつては広徳院という寺院があり、安房里見氏から2石の寺領を与えられていました。 ...続きを見る

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2010/07/21 23:26
第5回歴史講演会
群馬県高崎市の里見地区(上里見町、中里見町、下里見町)で、7月24日〜8月30日にかけて、「第2回 里見の郷フェスティバル」が開かれます。 その一環として、上里見町の榛名文化会館(エコール)で、7月24日(14:30〜16:30)に「第5回歴史講演会 『新田義貞の鎌倉攻めと里見氏』」が開かれます。 入場料(資料代)は500円。 残念ながら今年も都合がつきそうもなくて行けません。 せめて資料だけでも通販できたら嬉しいのですけど・・・。 ダメ元で問い合わせてみようかと迷っています。 ...続きを見る

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2010/07/17 18:00
南条城跡
千葉県館山市南条には、八幡神社が鎮座しています。 ...続きを見る

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2010/07/13 19:42
山王社
千葉県館山市下真倉には、日枝神社が鎮座しています。 かつては山王社と呼ばれ、この地の氏神として祀られていました。 安房里見氏から2石の社領を与えられていました。 ...続きを見る

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2010/07/07 18:25
君津市史跡巡り
所用で君津駅付近に行ったついでに、さらに遠征して、君津市の山間部にある久留里地区の源氏一族所縁の史跡巡りをしてきました。 ...続きを見る

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2010/07/06 18:56
鎌倉幕府終焉の日
7月4日は、新田義貞率いる討幕軍に攻められて、北条高時一門が自刃して果てた日です。 都からは足利氏の分家の一つとしか見られていなかった新田氏が、歴史の表舞台に登場した出来事でもあります。 鎌倉を落とした新田氏は、一躍ヒーローになれるはずでした。 しかし、新田氏にとって誤算だったのは、源氏嫡流と自他共に認められている足利氏の影響力の絶大さでした。 討幕軍の中には、足利尊氏の嫡子の千寿王(義詮)がいました。 義貞の討幕軍に参加した武士達は、義貞が千寿王を擁して決起したと思っていた者が多かっ... ...続きを見る

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2010/07/04 23:55
始まりと終わりの日
7月2日は、京都を代表する寺院の内の二つに関係のある日です。 延暦17年(798年)に坂上田村麻呂が清水寺を創建しました。 昭和25年(1950年)に、鹿苑寺の舎利殿(通称:金閣)が放火により焼失しました。 建物だけでなく、宝物もかなり焼失してしまったそうで、とても残念です。 焼失前の金閣は、金箔が剥がれ落ちて、時の流れの無情を感じさせるような建物だったようです。 再建された現在の金閣は、焼失前の状態ではなく、足利義満が創建した当時の建物を再現したものです。 今の金ピカもなかなか良い... ...続きを見る

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2010/07/02 20:08
十二戸と十二人の子供
千葉県館山市茂名には、十二所神社が鎮座しています。 創建は養老2年(718年)で、かつては葦加比神社と呼ばれていました。 祭神は、国常立尊です。 天正5年(1573年)に、村の戸数が12戸になったのを記念して、十二所神社に改名されたと伝えられています。 安房里見氏の祈願所にもなったとも伝えられています。 毎年2月20日に里芋祭という神事が行われています。 十二所神社の氏子の家から合計180個の里芋を集めて奉納するもので、五穀豊穣と無病息災を祈るものです。 国常立尊が12人の子供を育... ...続きを見る

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2010/06/29 20:24
安西氏の居館跡
千葉県南房総市池之内には、平松城跡があります。 平松城は、平安時代に安房郡西部を勢力圏とした桓武平氏の一族の安西氏の居館跡と考えられており、安房に落ちてきた源頼朝も一時逗留したようです。 安西氏は、源義朝に従属していました。 その縁で、安西三郎景益は、頼朝が落ちてきた時には真っ先に駆けつけて忠誠を誓いました。 景益は、幼少の頃から頼朝と昵懇の間柄だったと伝えられています。 安西氏は、戦国期には安房里見氏の家臣となっており、平松城は安西式部という人が居館としていたようです。 出羽三山(... ...続きを見る

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2010/06/11 16:57
安馬谷
千葉県南房総市には、源頼朝所縁の伝承がある「安馬谷」という地区があります。 南房総市の公式ホームページには、「頼朝が下立松原神社(南房総市千倉町牧田)に参拝した折に、現在の安馬谷に当たる地区に住む者が鞍馬を献上したことに因んで名付けられたもので、名付けられた時は『鞍馬谷』と読んでいたかもしれない」ということが書いてあります。 手持ちの本には、安馬谷の由来について、下立松原神社とは違う神社が二つ載っています。 「安馬谷八幡神社(南房総市安馬谷)に参拝した時」とするものと「莫越山神社(南房総市... ...続きを見る

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2010/06/06 19:01
昼下がりのドライブ
千葉県鴨川市の源氏一族所縁の史跡巡りをしてきました。 鴨川市は、平安時代末期に源頼朝が通ったことがある場所なので、頼朝所縁の史跡が多いです。 戦国時代には安房里見氏の支配下だったので、里見氏所縁の史跡も多いです。 ...続きを見る

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2010/05/31 23:45
薦野氏所縁の地蔵堂
千葉県館山市竹原には、安房里見氏一門の薦野氏に何らかの所縁があると伝わる相賀地蔵堂があります。 薦野神五郎頼俊が居城とした明星山城の跡と伝わる山とは目と鼻の先です。 本尊は、鎌倉時代中期の木像地蔵菩薩立像です。 室町時代の石造虚空蔵菩薩座像も安置されています。 堂の外にもお地蔵様が安置されています。 ...続きを見る

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2010/05/30 13:26
光堂
千葉県館山市竹原には、天文21年(1552年)に安房里見氏の家臣の吉田下野守が再興したと伝わる吉田山光堂があります。 本尊は、阿弥陀如来です。 里見氏一門の薦野頼俊が居城とした明星山城があった山の麓に位置します。 頼俊も、お参りしたことがあるかもしれません。 現在の建物は、地区の集会所になっているようです。 境内には、弘治年間(1555〜1558年)の宝篋印塔があります。 ...続きを見る

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2010/05/25 18:30
県内の親戚達
安房里見氏関係の本を読んでいたら、親戚の家の近くに里見氏の家臣が治めていた城跡があることが載っていました。 その家臣の子孫が建てた碑もあるようです。 今度親戚の家に行く用事があったら、ついでに散策してみようと思います。 うちの親戚は、安房里見氏の勢力圏内に数軒あります。 本で読んだだけでは行き方がわからないマイナーな史跡とかでも、親戚達に聞くと、史跡近くまでの道は大抵わかるので便利です。 もし親戚達の中に歴史好きな人がいれば、近くに史跡があれば、当然訪れていると思います。 そうなれば... ...続きを見る

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2010/05/24 23:29
誕生日と有名人
「笑っていいとも!増刊号」を観たら、テレホンショッキングのコーナーに管野美穂さんが出ていました。 管野さんは、タモリさんと誕生日が一緒だと言っていました。 さらには、足利義満と同じだとも言っていました。 放送終了後に、自分の誕生日と同じ歴史上の有名人がいないかと調べてみました。 知っている名前は少ししかありませんでした。 その中でも目についたのは、とある仏教の宗派の開祖でした。 源氏一族の武将とかはいないようで残念でした。 ...続きを見る

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2010/05/23 18:44
屋代氏の菩提寺
千葉県館山市竹原には、春光寺という曹洞宗の寺院があります。 安房里見氏の国替え後に、安房に一万石を与えられて、安房北条藩主となった屋代忠正が妻の菩提を弔うために創建した寺院です。 屋代氏は、清和源氏村上氏の流れを汲む一族です。 三代藩主忠位の時に、藩内に起こった農民一揆(万石騒動)により、失政を咎められて改易されました。 後に許されて、旗本として続きました。 ...続きを見る

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2010/05/20 13:25
合併
このブログでは、安房里見氏の史跡のことを書くことが多いので、「千葉県館山市」が登場することが多いです。 数年前までは「南房総の館山」いう書き方をすることが結構ありました。 2006年に町村合併で「南房総市」という自治体が誕生してしまったので、「南房総の館山」と書くと「館山」が南房総市の一地区のような感じになってしまって紛らわしいです。 最近は「千葉県館山市」と書くようにして、過去の記事も、気付いたものは修正しています。 館山市に限らず、房総半島の南半分に位置する地域は、昔から「南房総白浜... ...続きを見る

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2010/05/12 23:58
御所様のお饅頭
茨城県古河市の名物に「公方饅頭」という物があることを知りました。 「和菓子いなば」という所で製造しているようです。 ネットで「和菓子いなば」を検索してみましたが、個人ブログに時々名前が登場するくらいで、公式サイトの類はないようです。 「公方饅頭」で検索しても、特に由来らしきものはわかりませんでした。 古河を代表する歴史的人物と言えば、やはり真っ先に歴代古河公方が思い浮かびます。 公方饅頭は、古河公方本人達とは直接的関係はなくて、郷土の歴史的人物に因んで名付けただけの物なのだと思います。... ...続きを見る

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2010/05/09 08:46
大寺
千葉県館山市沼には、獅子吼山慈眼寺総持院という真言宗智山派の寺院があります。 通称は「沼の大寺」です。 永長2年(1097年)に、安房の国司として下向していた源親元によって創建されました。 安房里見氏の祈願寺となり、10石の寺領を与えられました。 里見氏の治世では、「里見」に因んで「三富山」と号したと伝えられています。 里見義康、忠義の書状が残されています。 ...続きを見る

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2010/05/08 14:17
安房里見氏菩提寺巡り 23
千葉県館山市上真倉には、安房高野山妙音院という寺院があります。 館山市で唯一の古義真言宗の寺院です。 天正7年(1579年)に、里見義康の発願により、紀州高野山金剛峰寺の直轄別院として創建されました。 本尊は、如意輪観世音菩薩です。 安房里見氏の祈願寺として161石の寺領を与えられていました。 里見氏の国替え後は、徳川氏によって75石に減高されましたが、徳川氏の祈願寺として保護されたと伝えられています。 ...続きを見る

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2010/04/26 23:08
三ツ矢
清和源氏の二代目の源満仲の伝承で、住吉大社の「矢を射って落ちた所を居城にせよ」という託宣によって摂津国多田を所領として開拓したという話しがあります。 この伝承とアサヒ飲料の「三ツ矢サイダー」に関連があるという情報が先日購入した本に少しだけ書いてありました。 詳しい情報がないものかとアサヒ飲料の公式サイトにアクセスしてみると、三ツ矢サイダーのページに由来が書いてありました。 多田(兵庫県川西市)には、満仲の放った矢を拾ったのは孫八郎という者で、その者に領地と「三ツ矢」の名字と「三本の矢羽根」... ...続きを見る

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2010/04/22 23:56
入荷した
昨日の記事で「新田氏の本を注文したが2週間以上経っても音沙汰がない」と書いたばかりだが、本日になって「入荷しました」とTELが・・・。 なんとも間が悪いものである。 しかし、半ば諦めていた本が手に入ることは嬉しいことである。 ...続きを見る

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2010/04/21 19:17
音沙汰なし
地元の書店にネットで新田氏関連の本を注文したのですが、2週間以上経っても何も連絡なし。 やはり絶版で手に入らないのかもしれません。 取り寄せ不可能なら、そのことを連絡してくれてもよさそうなものだけど・・・。 ...続きを見る

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2010/04/20 23:12
里見の郷 2
「里見の郷散策地図」を入手したことに因んで「里見の郷」で検索してみました。 「里見の郷散策地図」を使って史跡巡りをした人の記事とか、里見氏に関連する新情報が得られるかもしれないと思ったからです。 重要な関係はあまりなさそうなものも結構ヒットします。 ヤマザキから「里見の郷」という和菓子が出ていることがわかりました。 「里見」と言えば、どちらかというと、群馬県高崎市よりも千葉県館山市を思い浮かべる人の方が多いと思います。 館山市限定のお菓子なのかと思いましたが、千葉県内どころか、普通に東... ...続きを見る

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2010/04/17 23:53
里見の郷
群馬県高崎市の里見地区で「里見の郷散策地図」というものが売られています。 「南総里見八犬伝」で知られる戦国大名里見氏の先祖発祥の地を中心とした史跡の紹介がされた地図です。 「里見の郷」推進実行委員会が作成したもので、通常は里見地区で購入するしか入手手段がありません。 しかし、自宅から群馬県高崎市まで行くには、お金も時間もかかります。 今のところ高崎に行く予定はありません。 なかば諦めていたのですが、現地の親切な方のおかげで入手することができました。 地図に載っている史跡のいくつかは2... ...続きを見る

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2010/04/16 22:51
里見義康夫人病気平癒祈願の寺
千葉県南房総市千倉町北朝夷には、新福山円蔵院という真言宗智山派の寺院があります。 創建年代は不詳。 本尊は地蔵菩薩です。 安房里見氏から50石の寺領を与えられていました。 かつては荒神山徳恩寺と号し、末寺53ヶ寺を支配していました。 もとは少し離れた場所にあり、1400年代中期もしくは1700年代初頭に現在地に移転して新福山と号したと伝わっています。 里見義康の夫人の病気平癒祈願がされました。 里見氏の書状と江戸幕府歴代将軍の御朱印状納筥が残されています。 ...続きを見る

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2010/04/12 22:57
買えるといいな
地元の書店に清和源氏新田氏関連の本を注文。 10年くらい前に出版された本なので、今でも買えるかは微妙です。 絶版されていないことを祈ります。 ネット関係の通販では、見たサイトは全て在庫切れでした。 取り寄せ可能な所は数ヶ所ありましたが、実際に注文してみると「絶版で取り寄せできませんでした」というパターンは多いです。 どうせ注文するなら、送料無料でも本自体の値引きがなかったので、代引き手数料を考えると地元の書店に頼んだ方が得だと思いました。 ...続きを見る

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2010/04/05 22:30
安房里見氏菩提寺巡り 12−2
千葉県館山市安東には、高田寺という曹洞宗の寺院があります。 安房里見氏の一族の高田姫の菩提寺です。 「安房里見氏菩提寺巡り 12−1」にて簡単に説明しております。 以前に訪ねた時に写真を撮り忘れた部分を再び訪ねて撮ってきました。 ...続きを見る

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2010/03/31 23:29
安房里見氏菩提寺巡り 番外編4
千葉県館山市宮城には、宮城山頼忠寺という曹洞宗の寺院があります。 開基は、安房里見氏の家老の堀江能登守頼忠です。 頼忠の所領から10石を寺領として与えられました。 頼忠の木像と供養塔があります。 頼忠は、主君からの信頼厚く、里見氏の一門扱いを受けて「里見」の名字を名乗ることを許されていました。 里見氏の国替え時に主君里見忠義と共に伯耆国倉吉に赴き、同地で病死しました。 倉吉の大岳院(鳥取県倉吉市東町)に主君と共に葬られています。 堀江氏は、頼忠の数代前までは「堀内氏」と名乗っていま... ...続きを見る

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2010/03/26 19:48
芸術家に所縁の寺
千葉県館山市伊戸には、医王山円光寺という真言宗智山派の寺院があります。 安房里見氏から6石の寺領を与えられていました。 明治に活躍した画家の青木繁が一時期宿泊して制作活動をしていました。 江戸期に活躍した彫刻家の二代目波の伊八(武志伊八郎信常 )の欄間彫刻もあります。 ...続きを見る

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2010/03/21 23:41
養老寺
千葉県館山市洲崎には、妙法山観音寺という真言宗智山派の寺院があります。 通称は「養老寺」です。 かつては洲崎神社の別当寺でした。 養老元年(717年)に役行者(小角)によって創建されたと伝えられています。 本尊は、行基作と伝えられる十一面観世音菩薩立像です。 ...続きを見る

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2010/03/18 19:34
阿吽の石
千葉県館山市洲崎(すのさき)にある洲崎神社の一の鳥居の近くには、巨大な石(御神石)が安置されています。 この石には、2つの伝説があります。 「役行者が飛来し、海上安全のために一つを洲崎神社、一つを対岸の安房口神社(神奈川県横須賀市吉井町)に置いていった」というものと、「竜宮より1対の石が洲崎明神に献上され、その一つが天太玉命御霊代として東国鎮護のために吉井の地(安房口神社)に飛んでいった」というものです。 いずれにしろ、安房口神社の石と対になっているので「阿吽の石」とも呼ばれます。 ...続きを見る

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2010/03/14 22:40
大銀杏 2
今月10日に根元から折れて倒れてしまった鶴岡八幡宮の大銀杏。 一時は「再生は不可能」と言われていましたが、再調査で再生の可能性が出てきました。 切断した一部を、元の根から少し離れた脇に移植することになりました。 成功確立は90%とのこと。 元の根にも新芽が何本か生えているのが確認されています。 何十年、何百年後には、きっと八幡宮のシンボルとして再び甦っていると信じたいです。 隠れ銀杏の伝説も、二本の木に別れて、階段脇の木は「現在の木は二世代目」とか言われるようになるのでしょうね。 ...続きを見る

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2010/03/13 23:12
大銀杏
神奈川県鎌倉市雪ノ下にある鶴岡八幡宮の大銀杏(隠れ銀杏)が根元から折れて倒れてしまいました。 もともと不安定な土壌に立っていたことと、雨続きで地盤が緩んでいたところに雪まじりの強風を受けたのが原因とされています。 専門家の見立てでは、「回復は不可能」とコメントが出されているようです。 鎌倉の移り変わりをずっと見続けてきた大木ですから、世界各地のいろいろな人に見ていただいて、なんとか回復手段を見つけてほしいものです。 ...続きを見る

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2010/03/10 18:45
里見氏家臣が祀った祠
千葉県館山市稲にある稲村城跡には、「正木様」と呼ばれる祠があります。 里見氏の家臣だった正木氏の一族が先祖を祀ったもので、今でも麓に正木氏の子孫の家が5軒あり、毎年その人達によって供養祭が営まれています。 祀られている先祖は、稲村城があった前期里見氏の時代の人ではなく、稲村城が廃城になった後の後期里見氏の時代の人です。 里見義康の弟の正木源七郎義断だと言われています。 見た感じはわりと新しく、ここ数年の間に建て直されたようです。 ...続きを見る

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2010/03/08 23:03
前期里見氏最後の居城
千葉県館山市稲には、稲村城跡があります。 里見義通と義豊親子の居城でした。 義通と義豊は安房里見氏の嫡流でしたが、天文の内乱で庶流の里見義堯に家督を奪われました。 安房里見氏初代の義実から義豊までを「前期里見氏」、義堯以降を「後期里見氏」として分類することがあります。 稲村城は天文の内乱で焼け落ちたとも、乱後まもなく廃城になったとも伝えられています。 稲村城から運び出された財宝を埋めたという伝説が、千葉県南房総市千倉町大貫にある小松寺に残されています。 ...続きを見る

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2010/03/07 22:42
安房の国司を祀る神社
千葉県館山市沼には、国司神社が鎮座しています。 かつては国司大明神と呼ばれていました。 平安時代に安房国の国司として赴任してきた源親元を祭神としています。 親元は安房国の人々にとても慕われていたらしく、任期を終えて都に帰る時は、別れを惜しんだ人々が道を塞ぎ袖にすがり付いて泣いたと伝えられています。 その時に、親元は着ていた直衣の片袖を形見として残していったとも伝えられています。 時が経ち、親元が亡くなったことを伝え聞いた安房国の人々が、親元の徳を偲んで永久2年(1114年)に親元の館跡... ...続きを見る

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2010/03/02 21:08
生憎の雨
出先の近くに安房里見氏関連の史跡があったので寄ってくるつもりだったのですが、雨で断念。 今度はいつ行く機会に恵まれるやら・・・。 ...続きを見る

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2010/02/27 21:02
千力猿
千葉県館山市館山の城山公園(館山城跡)山頂には「里見の千力猿」の像があります。 千葉県南房総市富浦町豊岡にある岡本城跡(里見公園)には「その昔、里見家で千人力の怪力を誇る猿が飼われていて、合戦時に大活躍した」という話しが伝えられています。 館山市館山と隣接する館山市沼には、この猿の物だと伝わる頭骨が残されているそうです。 ...続きを見る

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2010/02/26 23:54
新田義貞公が行方不明
今頃になって知ったのですが、群馬県太田市新田市野井町の生品神社から新田義貞の銅像が盗まれたというニュースが2月19日に流れました。 源氏好きな自分としては、かなり気になります。 生品神社は、新田義貞が鎌倉幕府討伐の旗揚げをした場所です。 何度か訪ねたことがあります。 ...続きを見る

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2010/02/22 19:24
高(鷹)之島弁財天
千葉県館山市富士見にある高の島には、高之島弁財天が鎮座しています。 祭神は、市杵嶋姫命です。 平安時代に安房国の国司となった源親元によって、海上交通の守護神として創建されました。 ...続きを見る

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2010/02/20 22:28
高の島
千葉県館山市富士見には、高の島(鷹之島)という小島があり、高の島湊と呼ばれて平安時代から天然の良港として使われてきました。 高の島湊は、室町期に里見義頼によって安房地域の流通拠点として整備されました。 関東大震災時に隆起したことで館山本土と干潟で繋がるようになり、1930年(昭和5年)に周辺を埋め立てられて館山海軍航空隊の基地(現:海上自衛隊館山航空基地)が作られたことで完全に地続きとなりました。 ...続きを見る

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2010/02/19 22:33
写真追加
以前書いた千葉県館山市洲崎の洲崎(すのさき)神社の記事に、今年新たに撮影した写真を4枚追加しました。 ...続きを見る

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2010/02/06 19:20
お城
館山市立博物館分館先日、千葉県館山市の史跡巡りをした時に撮影しました。 安房里見氏の居城だった館山城跡に建てられた摸擬天守です。 犬山城(愛知県犬山市)の天守閣をモデルにしています。 観光客の大半は、こんな形の城が江戸時代に本当にここに建っていたと思うのでしょうね。 地元の人の大半も、こんな城が江戸時代に建っていたと思っているのかもしれません。 実際には、館山城に天守閣があった可能性はかなり低いようです。 館山城は、里見氏の国替えにともない破却されました。 徳川将軍家や将軍家譜代の... ...続きを見る

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2010/02/01 18:07
神明下
前日の記事で書いた神明神社の近くに大膳山と呼ばれる山があります。 かつて安房里見氏一門の正木大膳時堯(時茂)の館があった場所です。 現在は切り崩されて、岡の上の住宅街といった感じになっております。 入り口に館跡の碑があります。 その大膳山の麓に「神明下」という屋号を持つ民家があることがわかりました。 位置的に神明神社の下ではないので不思議に思っていました。 その民家の人とお話しすることができました。 その民家に伝わる話しによると、江戸期には大膳山の上に神明神社があったとのことです。... ...続きを見る

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2010/01/29 23:27
神明社
千葉県館山市上真倉には、神明神社が鎮座しています。 祭神は天照皇大神です。 安房里見氏から3石の社領を与えられました。 江戸幕府からも3石を安堵されました。 かつて近隣の御霊山にあった御霊社が合祀されています。 ...続きを見る

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2010/01/28 23:02
御霊社跡
千葉県館山市上真倉には、御霊山という山があります。 安房里見氏の居城だった館山城の遺構の一部で、すぐ隣りの天王山と共に外郭惣構えの一部だった所です。 付近には土塁や切り岸や堀の跡が残っています。 かつては鎌倉源五郎を祭神とする御霊社があり、安房里見氏から5石の社領を与えられていました。 御霊社は、現在は同じ上真倉にある神明神社に合祀されています。 付近の堀跡は、鹿島堀と呼ばれました。 里見氏が関ヶ原の戦いの恩賞として賜った鹿島の地の領民によって掘られたと伝わっています。 館山城破却... ...続きを見る

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2010/01/18 19:06
館山城の外郭遺構
千葉県館山市上真倉には、天王山という山があります。 かつて安房里見氏の居城だった館山城の遺構の一部で、隣りの御霊山と共に外郭惣構えの一部でした。 付近には、堀や土塁の跡が残っています。 堀跡は、鹿島堀と呼ばれました。 里見氏が関ヶ原の戦いの恩賞として賜った鹿島の地の領民によって掘られたと伝わっています。 館山城破却時に大半が埋め立てられ、水を張った部分が残っているのは泉慶院跡にある池のみです。 ...続きを見る

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2010/01/17 21:18
鎌倉御所
数年前に買った本を読み直していたら、ちょっとした疑問が浮かびました。 室町幕府が開かれると、鎌倉には鎌倉府という機関が置かれました。 鎌倉府の長官である鎌倉公方は、現在の鎌倉市浄明寺に御所を構えたと伝えられています。 浄明寺地区に建っている「足利公方邸旧蹟」の碑にも、鎌倉公方が浄明寺地区に御所を構えたことが書かれています。 鎌倉は、鶴岡八幡宮を大内裏に見立てて、京の都を模して作られた街です。 鎌倉幕府の時代の将軍御所は、八幡宮の近くにありました。 鎌倉公方足利氏は、なぜ中心からはずれ... ...続きを見る

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2010/01/13 18:22
2010年度初詣計画
毎年恒例の鎌倉詣。 鎌倉に行く時は、足利尊氏の供養塔のある長寿寺に行きたいと思っています。 長寿寺は、期間限定で土日祝日の晴天の日に短時間だけ一般公開しています。 「長寿寺」「鎌倉」「2010」というワードで検索した限りでは、1月の長寿寺の特別拝観は今のところない感じです。 貯金も少ないことだし、今月は諦めて、長寿寺の特別拝観が始まるのを待つことにしました。 今年の鎌倉詣は、長寿寺を一番の目的地として、北鎌倉方面を散策したいと思っています。 ...続きを見る

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2010/01/12 23:45
御霊の宮と白旗八幡宮
千葉県南房総市千倉町牧田の下立松原神社の境内には、御霊・白旗大明神が鎮座しています。 ...続きを見る

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2010/01/06 17:42
旭ヶ岡
千葉県南房総市千倉町牧田には、下立松原神社が鎮座しています。 安房国の開拓者の阿波忌部氏の美努射持命が祖先の天日鷲命を祀ったのが始まりとされています。 源頼朝や里見義実が太刀を奉納して武運長久の祈願をしたと伝えられています。 同じ名前の神社が南房総市白浜町滝口にもあり、こちらもほぼ同様の伝承が残されています。 ...続きを見る

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2010/01/05 22:54
東国の鎮守!?
千葉県君津市鹿野山には、白鳥神社が鎮座しています。 祭神は、日本武尊と妃の弟橘比売命です。 社伝によると、日本武尊が東征の折に、鹿野山を拠点として暴れていた阿久留王を征伐して民を救いました。 日本武尊は死後に白鳥になって鹿野山に飛んで来たといわれ、民が日本武尊の生前の徳を偲んで白鳥神社を創建したと伝えられています。 聖徳太子によって東国の鎮守とされたとも伝えられています。 室町期には、上総武田氏や安房里見氏によって再建や寄進が行なわれました。 ...続きを見る

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2009/12/20 22:41
頼朝が与えた名字 4
前日の記事の続きです。 ...続きを見る

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2009/12/08 23:57
頼朝が与えた名字 3
前日の記事の続きです。 ...続きを見る

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2009/12/07 17:17
頼朝が与えた名字 2
前日の記事の続きです。 ...続きを見る

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2009/12/06 23:47
頼朝が与えた名字 1
3年半くらい前に「あわいっこく」という記事を書きました。 源頼朝が安房に落ちてきた時の逸話です。 安房の民は、落ち武者だった頼朝を献身的にもてなしました。 頼朝はその恩に対して「私が天下を取ったら、そなたに安房一国を与えよう」と言います。 それを「粟一石」と聞き間違えた民達は「そんな物は裏の畑で取れます。代わりに名字を下さい」と言い、頼朝から名字を与えられたという話しです。 頼朝が上陸したと伝えられる安房郡鋸南町竜島(旧:平北郡猟島)には、その時に与えられた名字(竜島七姓)を持つ家が今... ...続きを見る

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2009/12/05 18:31
厩戸皇子(聖徳太子)開山の霊場
千葉県君津市鹿野山には、鹿野山琳聖院神野寺という真言宗智山派の寺院があります。 推古天皇6年(598年)に、聖徳太子によって開山されました。 鹿野山は、現在では周辺一帯の住所地名であり、山の名前でもあり、神野寺の山号でもあります。 聖徳太子による創建の際に野生の鹿がたくさん集まったことから、お釈迦様の初転法輪(初めて弟子達に仏教の講義をした)の地の「鹿野苑(鹿がたくさん生息していたことから名付けられた)」に因んで「鹿野山」と名付けられました。 現在までに何度も兵火や天災で焼失や倒壊を繰り... ...続きを見る

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2009/11/28 21:50
古河公方の仮御所
千葉県富津市佐貫には、佐貫城跡があります。 ...続きを見る

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2009/11/19 22:20
連歌の大家
群馬県太田市岩松町には、尚純萩公園という小さな公園があります。 ここには、岩松尚純夫妻の墓所があります。 ...続きを見る

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2009/11/13 21:50
足利氏&新田氏の祖を祀る神社
群馬県太田市岩松町には、義国神社が鎮座しています。 清和源氏一族の足利氏&新田氏の祖である源義国が祀られています。 ...続きを見る

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2009/11/02 23:41
源義国邸跡
群馬県太田市岩松町には、岩松山義国院青蓮寺という時宗の寺院があります。 清和源氏足利氏&新田氏の両祖である源義国によって創建されたと伝えられています。 義国の子孫の岩松尚純が、嫡子の昌純に家督を譲り閉居した場所でもあります。 岩松氏は、新田氏の一門で、新田宗家の滅亡後は新田氏の嫡流格でした。 もともとは今よりも少し東方の地にあったのですが、江戸時代の初めに現在地に移動しました。 現在の境内地は、義国が晩年に居館を置いた地とのことです。 岩松館跡とも呼ばれます。 徳川将軍家から、義国... ...続きを見る

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2009/10/27 22:39
徳川氏発祥の地 2−2 
群馬県太田市世良田町には、得川(徳川)義季の菩提寺の長楽寺があります。 得川義季は、清和源氏新田氏初代義重の四男です。 系図上は江戸幕府徳川将軍家の祖とされているので、義季の領地だった得川(徳川)郷(現:太田市徳川町)と世良田郷(現:太田市世良田町)は江戸幕府から厚く保護されました。 徳川郷の領民は、参勤交代の大名行列が来ても土下座しなくても良かったとも伝えられています。 前回訪ねた時は三仏堂周辺は観てこなかったので、8月の終わりに再び行ってきました。 ...続きを見る

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2009/10/22 18:47
南房総市平群地区の祭礼
たまたま目にした情報ですが、10月24日(土)に千葉県南房総市の平群地区で平群天神社の例大祭が行なわれます。 数ヶ月前に史跡巡りで探して行ったことがある神社だったので、少し気になりました。 平群天神社は、平群地区の鎮守です。 足利一門で室町幕府の執事を務めた細川清氏が、文和2年(1353年)に京都の北野天満自在天を勧請したのが始まりだと伝えられています。 例大祭には、神輿1基と平群の8つの地区の担ぎ屋台8台が出ます。 花火も打ち上げられるそうで、規模は大きいようです。 今年は、チバテ... ...続きを見る

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2009/10/21 16:21
第28回南総里見祭り
本日は、千葉県館山市の南総里見祭りの日。 史実の里見氏と架空の物語の「南総里見八犬伝」の里見氏が混合された祭りです。 地域の活性化という面では有意義なものですが、里見氏をよく知らない人には史実とフィクションの混同がますます進んでしまうというマイナス面も持っています。 しかし、やはり祭りは楽しいもの。 ここ数年は観に行く機会がありませんでした。 今年は時間が取れたのですが、体調が悪く断念。 祭りのメインイベントの武者行列で、以前は堂本暁子前千葉県知事が「南総里見八犬伝」の登場人物の伏姫... ...続きを見る

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2009/10/18 21:57
登山
千葉県館山市の稲村城跡に行ってきました。 稲村城は、安房里見氏の居城の一つです。 午前中に出かけるはずだったのですが、家の用事で午後も遅い時間になってしまいました。 着いたのは16:30くらい。 まだかろうじて明るいかなという感じ。 とりあえず登ってみましたが、思ったより低い山でした。 木々や岩に遮られて、太陽もかなり傾いていたので陽がさし込まない所があって、暗くて怖かったです。 尾根道から主郭部にかけては、それなりに陽がさして明るかったです。 細かい所をいろいろと見てまわりたか... ...続きを見る

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2009/10/13 22:11
新田氏累代の菩提寺
群馬県太田市別所町には、御室山金剛院円福寺という古義真言宗の寺院があります。 新田氏四代目の新田政義が開基となり、仁和寺の阿闍梨の静毫を招いて創建しました。 静毫は、円福寺の初代住職になったと伝えられています。 新田政義は、寛元2年(1444年)に京都大番役として在京中に自由出家をしてしまい、その罪で幕府から所領の一部と惣領職を没収されて新田庄由良郷に蟄居しました。 円福寺の創建は、その頃だったと考えられています。 新田政義の失脚により、新田氏の惣領職は分家の世良田氏と岩松氏が半分ずつ... ...続きを見る

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2009/10/12 23:12
古河公方二代目の隠居地
埼玉県久喜市には、永安山甘棠院という臨済宗円覚寺派の寺院があります。 古河公方二代目の足利政氏が永正15年(1518年)ごろに隠居して住んだ館の跡だと伝えられています。 館の周りには堀がめぐらされており、現在でも一部が残っています。 永正16年(1519年)に、政氏の子(弟とする説もあります)の貞巖和尚の開山で寺院となりました。 境内には、足利政氏の墓所があります。 天文17年(1548年)に火災で堂宇を焼失しましたが、翌年に再建されました。 天正19年(1591年)に、徳川家康から... ...続きを見る

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2009/10/05 23:23
御所様の修行地
千葉県南房総市石堂には、長安山東光院石堂寺という天台宗の寺院があります。 本尊は、十一面観世音菩薩です。 このお寺にはよく行くので、以前にも記事を書いています。 和銅元年(708年)に恵命と東照という奈良から来た二人の僧がアショカの王塔を祀って草庵を結んだのが始まりと伝えられています。 神亀3年(726年)に聖武天皇の勅願で行基が堂宇を建立しました。 仁寿元年(851年)に天台座主の慈覚大師が七堂伽藍を造営し天台宗に改宗されました。 応永9年(1402年)に彗星が出現した折に、鎌倉公... ...続きを見る

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2009/09/26 23:50
雨宿り
千葉県南房総市白浜町白浜の野島崎公園内には、頼朝公の隠れ岩と呼ばれる岩屋があります。 伝説の岩屋とも呼ばれます。 ...続きを見る

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2009/09/17 23:56
野島崎
千葉県南房総市白浜町白浜には、野島崎と呼ばれる場所があります。 この地は、安房里見氏初代となった里見義実が上陸した地と伝えられています。 同地には、厳島神社が鎮座しています。 厳島神社には、二人の武将が武運長久を祈願したという伝承が残っています。 一人は、源頼朝です。 安房に落ちてきた頼朝がこの地を通った際に参拝し、休憩を取ったと伝えられています。 その時に、近くの池に「銚子池」「盃池」「徳利池」と名付けたそうです。 現在、池の跡がくぼみ状になって残っているそうですが、残念ながら場... ...続きを見る

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2009/09/12 19:35
とある神社の境内
清和源氏一族所縁の寺社巡りをしてきました。 今回の一番の目的地の神社に行った時のことですが、夕方だったので学校が終わった子供が数人遊んでいました。 子供達が入らないアングルで拝殿を撮影したものの、一の鳥居からの遠景という感じにしか撮れませんでした。 また機会を作って、今度は学校がやっている時間帯に行ってきたいと思います。 子供達が外で遊んでいたのは良いことですが、身体を動かすようなことをしていたわけではありません。 拝殿前に座り込んでPSPとかDSをやっていました(~_~;) ...続きを見る

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2009/09/10 20:57
不親切な人もいたらしい
最近買った源頼朝について書かれた本におもしろい話しが載っていました。 安房に落ちてきた頼朝に、ほとんどの人達は親切にして名字をもらったりしました。 ところが「怪しい奴だ」と思って不親切にした人もいたとのこと。 頼朝主従が民家に一夜の宿泊を願い出たのですが、断られてしまいました。 家臣が一生懸命頼み込んで、なんとか泊まれるようになったものの、通された部屋は板の間でした。 せめて主人の頼朝のために近くにあったムシロを1枚借りようと頼んだのですが、民家の当主はこれも断りました。 仕方なく頼... ...続きを見る

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2009/09/02 22:27
安房里見氏菩提寺巡り 番外編3
神奈川県横浜市鶴見区東寺尾には、仙鶴山松蔭寺という臨済宗建長寺派の寺院があります。 建武元年(1334年)の創建と伝えられています。 開山は、鎌倉の建長寺の第三十世住職の仏寿禅師です。 境内には、仏寿禅師の分骨墓所があります。 他にも義堯入道尊という建物があります。 安房里見氏最後の当主里見忠義の伯父で上野国板鼻藩主だった里見忠重(義高)が祀られています。 忠義の父の義康が関ヶ原の戦いの恩賞として鹿島3万石を加増されました。 その時に義康の弟の忠重も恩賞として上野国板鼻に1万石を与... ...続きを見る

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2009/08/29 23:40
北関東旅行
ふと思いたって、埼玉県久喜市と群馬県太田市に行ってきました。 マイマシンはETC搭載ではないので、時間がかかっても構わないから交通費を浮かすべく一般道優先で行ってきました。 本当は栃木県足利市にも行きたかったのですが、寝坊して出発の時刻が予定よりかなり遅れたので今回は断念。 まず最初に行ったのは埼玉県久喜市にある甘棠院。 ここは古河公方足利政氏の菩提寺です。 その後は、群馬県太田市の円福寺→世良田東照宮&長楽寺&新田荘歴史資料館→青蓮寺と回って帰りました。 円福寺は、新田氏累代の菩提... ...続きを見る

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2009/08/23 22:52
安房里見氏菩提寺巡り 20
千葉県館山市上真倉には、富士山津梁院長光寺という曹洞宗の寺院があります。 天文元年(1532年)の開山で、本尊は釈迦如来です。 安房里見氏から10石の寺領を与えられました。 この寺には位牌の形をした里見義康と忠義親子の供養塔があります。 「供養塔があるということは、菩提を弔っている」と考えて、「安房里見氏菩提寺巡り」のタイトルを付けました。 ...続きを見る

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2009/08/22 22:04
郷土史家里見水戸之介
以前に群馬県高崎市中里見町にある光明寺で郷土史家の里見水戸之介という人が建立したという新田公旧里碑を観ました。 その時に里見水戸之介という人の出自が気になったのですがわかりませんでした。 昨日の記事で紹介した「新田氏支流里見氏−榛名町里見氏の系譜と旧跡−」を読んだら里見水戸之介のことが載っていました。 「新田氏支流里見氏」の筆者里見義成さんの祖父の里見義彰さんのことでした。 水戸之介という名前は、郷土史家として活動する時の名前だったようです。 先祖の成した事跡を調べ上げて後世に残そうと... ...続きを見る

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2009/08/19 23:46
里見氏関連本購入
以前にネットで見つけたのですが、Amazonで中古以外の取り扱いがなかったので迷っていた本を遂に購入。 書店に新品を直接注文しようかと思ったのですが、出版社のサイトで直で通販できました。 ちゃんと定価で購入できましたが、Amazonだと定価の倍以上になっていました。 ...続きを見る

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2009/08/18 22:28
天神宮
千葉県南房総市平久里中には、平久里天神社が鎮座しています。 祭神は、菅原道真です。 文和2年(1353年)に、細川相模守が京都の北野天満自在天を勧請したと伝えられています。 細川相模守とは、足利氏一門の細川氏の一族の細川清氏です。 清氏は、室町幕府の執事(後の管領)でした。 安房里見氏の治世時には、7石の社領を与えられました。 背後には、南房総の名山と呼ばれる標高336.6mの伊予ヶ岳があります。 平久里天神社は、伊予ヶ岳の登山コース入り口でもあります。 伊予ヶ岳には天狗が住んで... ...続きを見る

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2009/08/17 20:40
伐採
千葉県南房総市山田には、山神社が鎮座しています。 ここには源頼朝が安房に落ちてきた際に立ち寄って戦勝祈願をしたという伝承があります。 その時に、鳥居の近くに松の木を植えたそうです。 その松の木は、「栄枯松」と呼ばれました。 栄枯松は戦時中に松ヤニ採取のために伐採されてしまったそうです。 創建年代や祭神については、手持ちの資料からはわかりませんでした。 一応ネットで検索してみましたが、やはりわかりませんでした。 ...続きを見る

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2009/08/13 21:12
頼朝が再興したと伝えられる寺
千葉県南房総市合戸には、富山福満寺という真言宗智山派の寺院があります。 本尊は、十一面観世音菩薩です。 安房里見氏から6石の寺領を与えられていました。 安房国礼三十四ヶ所観音霊場の第十二番札所でもあります。 天平3年(731年)に、聖武天皇の勅願によって行基が創建しました。 鎌倉時代に源頼朝が再興したと書いてある木札があったそうですが、焼失したそうです。 ...続きを見る

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2009/08/10 18:14
頼朝の鞭
千葉県南房総市犬掛には、逆さ柿と呼ばれる柿の木があります。 安房に落ちてきた源頼朝がこの地を通った際に、持っていた鞭を地面に刺して「我が願いをして成らしめば、この枝必ず芽生えよ」と念じて源氏の再興と武運長久を祈ったそうです。 やがて、その鞭は根を生じて立派な柿の木に成長したという伝承が残っています。 しかし、頼朝が鞭を逆さに刺してしまったので、実が逆さに実ったと伝えられています。 ...続きを見る

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2009/08/06 20:58
里見家の埋蔵金伝説
千葉県南房総市上滝田には、安房国三十六不動尊霊場の三十四番札所の沢山不動堂と行者が水行をしたという七ッ滝があります。 本尊は不動明王です。 安房里見氏の守本尊だったと伝えられています。 創立縁起は不明。 安産、商売繁盛、学業成就に霊験があるそうです。 ここには里見氏の埋蔵金伝説もあります。 「里見公守り給ひし不動尊 残す宝はここに勝つ勝つ」という歌が残っています。 里見氏の埋蔵金伝説は、他にも南房総市富浦町大津の宮本城址と南房総市千倉町大貫の小松寺にも伝わっています。 ...続きを見る

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2009/08/04 23:29
安房里見氏菩提寺巡り 19
千葉県南房総市上滝田には、萬松山龍喜寺という曹洞宗の寺院があります。 永正年間(1504〜1520年)に里見義通の開基で創建されました。 初めは天笑(昭)院と号し、後に高巖院と号し、さらに龍喜寺と改めました。 天笑院は里見義通の法号であり、高巖院は里見義豊の法号でもあります。 本尊は木造地蔵菩薩座像です。 この地蔵菩薩座像は、里見義豊の家臣だった御子神大蔵の子孫が寄進した物だと伝えられています。 里見義通の位牌も残されています。 ...続きを見る

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2009/08/02 11:36
知(智)恩院
千葉県南房総市下滝田には、仏知山知恩院という真言宗智山派の寺院があります。 応和元年(961年)の創建で、創建時は仏智坊と号しました。 本尊は、地蔵菩薩です。 安房里見氏から15石の寺領を与えられました。 ...続きを見る

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2009/07/24 17:22
宝珠院の隣接地
千葉県南房総市府中には、八坂神社が鎮座しています。 天授元年(1375年)の創建で、祭神は須佐之男命です。 里見義実から御朱印12石を寄進されたと伝えられています。 ...続きを見る

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2009/07/20 14:38
里見の郷フェスティバル開催
里見氏発祥の地である群馬県高崎市の上里見町と下里見町で「第一回 里見の郷フェスティバル」が開催されます。 7月25日〜8月30日までの間にいくつかのイベントが企画されています。 里見氏発祥の地でおこなわれるというだけで、基本的には里見氏に関わりがあるイベントではありません。 しかし、初日におこなわれるイベントだけは里見氏に関わりがあります。 里見地区では、今まで里見氏に関する歴史講演会が3回開催されています。 その4回目の講演会が「第4回『里見の郷』歴史講演会 新田氏と里見氏」と題して... ...続きを見る

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2009/07/17 23:48
タイトル変更
2009年5月20日に千葉県館山市神余にある神余山智恩寺の記事を書いたのですが、安房里見氏の一族の墓があることがわかったのでタイトルを「安房里見氏菩提寺巡り 18」に変更し、少し追記しました。 ...続きを見る

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2009/07/16 15:50
里見氏の祈願所
千葉県南房総市府中には、宝珠院という真言宗智山派の寺院があります。 金剛山神明坊神護寺と号し、安房国真言一派諸寺院(284ヶ寺)支配所でした。 安房里見氏代々の祈願所として最盛期には約300石の寺領を誇りました。 後に江戸幕府によって約200石に減高されました。 本尊は、木造地蔵菩薩立像です。 安房国礼三十四ヶ所観音霊場第二十三番札所でもあります。 ...続きを見る

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2009/07/13 18:53
約4000円のお買い物
いつも行く書店とは違う書店に行ってみたら、安房里見氏関係の本を2つ見つけてしまいました。 ...続きを見る

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2009/07/10 13:51
サザエを踏んだ人達
庭の花壇でサザエの殻を発見しました。 どこかからもらって食べたサザエの殻を、母がちょっとしたオブジェのつもりで飾っていたようです。 その殻を見て、千葉県に伝わる歴史的偉人のサザエにまつわる話しを二つ思い出しました。 その話しに出てくる人達は、二人とも鎌倉時代に活躍した人です。 ...続きを見る

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2009/07/06 19:03
中務大輔と中務少輔
千葉県館山市山本には、霊巖山竜淵寺(龍渕寺)という曹洞宗の寺院があります。 大永元年(1521年)に創建されました。 開基は里見中務大輔、開山は實庵壽貞と伝えられています。 本尊は、釈迦如来です。 ...続きを見る

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2009/07/04 10:29
水田の一角
千葉県館山市稲には、水田の一角にポツンとエノキの木が立っている場所があります。 そこは水神森と呼ばれ、昔からその場所だけは耕作地として使われることを避けられていました。 ...続きを見る

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2009/06/28 13:45
稲村城の鬼門除け
千葉県館山市竹原には、日枝神社が鎮座しています。 祭神は、大山咋命です。 安房里見氏から5石余の社領を与えられていました。 かつては今宮山王権現と称しましたが、明治3年(1870年)に日枝神社に改称しました。 仁寿2年(852年)に慈覚大師が近江国の日吉大社を勧請したのが始まりだと伝えられています。 治承4年(1180年)に源頼朝が武運長久の祈願に立ち寄り、社領を寄進しました。 永正7年(1510年)に里見義堯が社領を寄進し、社殿を修復しています。 里見氏の居城の稲村城の鬼門除けで... ...続きを見る

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2009/06/23 23:18
里見氏一門の居城跡
千葉県館山市竹原には、明星山城がありました。 明星山城は、安房里見氏の一門衆の薦野神五郎頼俊の居城でした。 頼俊は、里見義頼の弟として生まれ、母方の姓の「薦野」を名乗りました。 頼俊の母方の薦野氏は、三浦氏の流れを汲む多々良氏の一族でした。 安房里見氏には、本家と本家が許可した者以外は「里見」を名乗れない決まりがあったので、母方の姓を名乗った一門は多いです。 慶長11年(1606年)の分限帳には、頼俊が2524石余を知行していたことが書かれています。 慶長19年(1614年)に里見氏... ...続きを見る

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2009/06/17 06:30
朝夷
何年か前に、千葉県南房総市千倉町の朝夷地区(北朝夷&南朝夷)が鎌倉時代は足利氏の所領だったことを当ブログで書きました。 いろいろ調べてみたのですが、その時は朝夷地区に足利氏所縁の史跡は見つけられませんでした。 最近になって、「別に何か史跡がなくても良いから、朝夷地区の写真を撮りたい」と思うようになりました。 昔から清和源氏の一族が好きなのですが、その中でも足利氏は特にお気に入りです。 適当に山とかの風景を撮って、「かつての足利氏の所領にやってきたんだ」と感慨にひたりたいです。 厳密には... ...続きを見る

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2009/06/14 15:02
名馬の産地
千葉県南房総市和田町磑森は、かつて名馬の産地でした。 磑森(するすもり)は、墨摺森とも書いたそうです。 源頼朝の愛馬「磨墨(するすみ)」の誕生地という伝承が残っています。 磨墨の誕生地については、他にも日本各地に伝承があります。 安房里見氏に関する伝承も残っています。 天文の内乱(1533〜1534年)で里見義豊が敗死した時に、義豊の側室が身を隠した場所だと言われています。 義豊の側室は身籠っており、子を産んだ時に死去したとのことです。 ...続きを見る

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2009/06/13 06:13
馬が足を止めた神社
千葉県南房総市和田町黒岩には、熊野神社が鎮座しています。 安房に落ちてきた源頼朝がこの地を通った時に、乗っていた馬が突然足を止めたので付近を調べると熊野神社が見つかったので武運長久の祈願をしたと伝えられています。 その時に何か書き物を寄進したそうですが、神社を管理していた山伏がお金に困って売ってしまったので現在は残っていないそうです。 馬が足を止めた場所は「熊野神社下馬所」と呼ばれているそうです。 江戸時代の欄間彫刻家の初代波の伊八(武志伊八郎信由)の彫刻もあります。 ...続きを見る

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2009/06/11 11:11
薬師如来の功徳厚き寺
千葉県南房総市和田町沼には、赤坂山沼蓮寺という真言宗智山派の寺院があります。 本尊は、地蔵菩薩です。 延慶元年(1308年)に真観和尚が開山しました。 室町期に、安房里見氏が山林境内と本尊供養のための永代寄附として田地(佛供田)を600坪寄進しています。 醫王殿に祭られている薬師如来は信仰厚く、寛永2年(1705年)に当時の住職の宥観が書いた「赤坂薬師如来縁起」に「盲目の人が薬師に祈願すると目が見えるようになった」等の様々なエピソードが載っています。 「だるま薬師」とも呼ばれ、毎年1月... ...続きを見る

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2009/06/07 23:41
真田氏創建の神社
千葉県南房総市和田町中三原には、諏訪神社が鎮座しています。 祭神は、建御名方神と八坂止売命です。 山の中に隠れるように建っています。 貞応年間(1222〜1224年)に、三原郷を支配していた豪族の真田氏によって創建されました。 永禄年間(1558〜1569年)に、安房里見氏が社殿の修復をおこなっています。 ...続きを見る

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2009/06/06 09:41
読書
友人から借りた本を毎日少しずつ読んでいるのですが、なかなか進みません。 足利義満を題材にした本なのですが、どうも自分の感性に合いません。 友人も「全くお薦めできない」ということだったのですが、「どれだけダメな本なのか?」と逆に気になりました。 やっと半分読み終わったのですが、本当にこれはダメだと思いました。 別の人が同じく足利義満を題材にして書いた本に対しての否定本みたいな感じなのですが、どうも自己満足と妄想に凝り固まったような文章が多いです。 友人曰く「文体に嫌悪感を抱く」とのことで... ...続きを見る

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2009/05/31 17:15
葵紋の寺
千葉県館山市北条には、海養山龍勢院金台寺という浄土宗の寺院があります。 本尊は、阿弥陀如来です。 永正2年(1505年)と文明2年(1470年)の創建説があります。 安房里見氏から60石の寺領を与えられました。 4世住職は、里見義康の叔父の豪誉九把です。 ...続きを見る

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2009/05/29 23:58
長田大明神
千葉県館山市東長田には、山宮神社が鎮座しています。 かつては山宮大明神と呼ばれました。 長田大明神とも呼ばれたそうです。 朱鳥元年(686年)に創建されました。 祭神は、大山祇命です。 安房に落ちてきた源頼朝が武運長久を祈願したという伝承があります。 安房里見氏から10石の社領を与えられました。 ...続きを見る

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2009/05/26 22:40
安房里見氏菩提寺巡り 18
千葉県館山市神余には、神余山智恩寺という曹洞宗の寺院があります。 慶長8年(1603年)に里見義康が開基し創建されました。 1603年と言えば、徳川家康が征夷大将軍宣下を受けた年でもあります。 たまたま同じ年に創建されただけでしょうけど、なんとなく特別なものを感じてしまいます。 本尊は地蔵菩薩で、安房里見氏から10石の寺領を与えられました。 関東大震災で倒壊しましたが、昭和元年に再建されました。 この寺は、里見義堯の三男の里見堯次の子孫の菩提寺でもあります。 堯次の孫の堯則は、安房... ...続きを見る

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2009/05/20 15:25
弘法大師の修行場
千葉県館山市出野尾には、真言宗智山派の金剛山小網寺があります。 本尊は、不動明王です。 和銅3年(710年)の創建で、密教道場として繁栄し、境内の法華谷という所は弘法大師空海が修行をした所だと伝えられています。 かつては金剛山大荘厳寺と号しました。 里見義実が法印宗秀を招いて中興開山しました。 安房里見氏から15石の寺領を与えられ、江戸幕府からは更に10石を加増されて25石になりました。 ...続きを見る

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2009/05/14 14:18
33番目
千葉県館山市西長田には、真言宗智山派の杉本山観音院という寺院があります。 安房国礼三十四ヶ所観音霊場の第三十三番札所です。 本尊は、平安時代作の聖観音立像です。 安房里見氏から2石の寺領を与えられました。 ...続きを見る

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2009/05/13 14:17
情報収集
千葉県市原市にある源頼朝所縁の寺院を訪ねたいと思っています。 市原市には安房里見氏所縁の史跡も多いので、まとめて行きたいと思い、ネットや本で情報収集。 久しぶりに養老渓谷にも行きたいと思って、市原市の隣りの夷隅郡大多喜町もついでに調べてみました。 大多喜町には、里見氏と上総武田氏所縁の史跡が多いです。 やはり一日で回ろうとせずに、数回に分けて行った方が無難なようです。 夏までには1回出かけてきたいと思っています。 いつ行くかは、体調、天気、経費、その日の気分の問題ですね。 ...続きを見る

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2009/05/12 23:22
館山観音
千葉県館山市館山には、真言宗智山派の長福寺という寺院があります。 行基によって創建されたと伝えられています。 安房里見氏から6石の寺領を与えられていました。 ...続きを見る

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2009/05/10 15:09
由比若宮
神奈川県鎌倉市材木座には、元八幡(由比若宮)と呼ばれる小さな神社があります。 この地は、鶴岡八幡宮が源頼朝によって現在地に遷座するまで鎮座していた場所です。 康平6年(1063年)、源頼義が前九年の役に勝利して凱旋する途中に、京都の石清水八幡宮を勧請したのが始まりです。 大正時代には、作家の芥川龍之介が隣接地に一時期住んでいました。 ...続きを見る

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2009/05/02 00:51
引っ越しを重ねたお堂
神奈川県鎌倉市大町には、辻の薬師と呼ばれる古いお堂があります。 ...続きを見る

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2009/05/01 23:52
大御堂跡
神奈川県鎌倉市雪ノ下には、勝長寿院跡があります。 文治元年(1185年)に、源頼朝が父の源義朝の菩提を弔うために創建しました。 荘厳な大伽藍が立ち並ぶ寺院で、大御堂とも呼ばれました。 今も鎌倉市雪ノ下には「大御堂」の地名が残っています。 頼朝の正室の北条政子、鎌倉幕府第三代将軍源実朝も勝長寿院に葬られたと伝えられています。 康元元年(1256年)に焼失しましたが、正嘉2年(1158年)に鎌倉幕府第五代執権北条時頼によって再建されました。 室町期には鎌倉公方足利氏に保護されましたが、足... ...続きを見る

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2009/04/15 16:06
竹の庭
神奈川県鎌倉市浄明寺には、臨済宗建長寺派の報国寺があります。 足利氏の菩提寺の一つで、境内には一族の墓があります。 鎌倉に行った時は、なるべく立ち寄ることにしております。 ...続きを見る

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2009/04/12 20:02
鎌倉公方菩提寺
神奈川県鎌倉市二階堂には、臨済宗円覚寺派の瑞泉寺があります。 嘉暦2年(1327年)に創建されました。 開基は二階堂道蘊で、開山は夢想疎石です。 二階堂氏は、藤原氏の血筋で、源頼朝に仕えた工藤行政が鎌倉の二階堂に館を構えて二階堂氏を名乗ったことに始まります。 最初は瑞泉院と号しましたが、室町期に鎌倉公方足利基氏が夢想疎石に帰依を受けて中興し、瑞泉寺と改めて鎌倉公方歴代の菩提寺になりました。 鎌倉五山に次ぐ鎌倉十刹の筆頭格でした。 ...続きを見る

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2009/04/11 15:26
奥州征伐の慰霊の寺
神奈川県鎌倉市二階堂には、永福寺跡の碑が建っています。 永福寺は、源頼朝が奥州征伐での戦没者の慰霊のために建てた寺院です。 頼朝が奥州征伐時に見た平泉(現:岩手県西磐井郡平泉町)の中尊寺二階大堂大長寿院を模して建てられました。 現在も残る鎌倉市の地名「二階堂」の由来となりました。 応永12年(1405年)に火災で焼失しました。 ...続きを見る

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2009/04/09 22:28
桜見物
前回が今一つだったので、今回の休みも桜見物をしながら史跡巡りをしてきました。 今回は、南房総市の旧:安房郡三芳村地区と旧:安房郡富山町地区の安房里見氏と源頼朝所縁の場所です。 ...続きを見る

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2009/04/07 21:24
頼朝の同母弟
神奈川県鎌倉市西御門には、鎌倉幕府初代将軍の源頼朝の墓所があります。 頼朝の墓所の隣りには、頼朝の同母弟の源希義の墓所(高知県高知市介良)から運ばれた土と石が安置されています。 ...続きを見る

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2009/04/05 21:51
今年は今一つ
昨日は、桜見物を兼ねて史跡巡りをしてきました。 最初に行ったのは、南房総市和田町です。 和田町には先週も行ったのですが、先週行き忘れた所があったのです。 ドライブは好きなので苦になりません。 ところどころ桜がきれいに咲いていましたが、ここぞという名所は見つかりませんでした。 和田町の史跡巡りが終わって、まだ時間が早かったので館山市の稲村城跡周辺にも行くことにしました。 ところが稲村城跡入り口付近は工事で通行止めになっていて、当初予定していた道が通れませんでした。 仕方なく迂回したの... ...続きを見る

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2009/04/04 10:51
丸に縦二つ引き両
千葉県館山市船形には、那古寺が管理している千日堂という墓地があります。 千日堂には、安房里見氏の家臣だった正木九右衛門一族の墓所があります。 正木九右衛門は、里見水軍を統括していた正木淡路守に繋がる系統だと伝えられています。 里見氏の改易後に船形村の鈴木弥惣右衛門という有力農民の娘を娶って、そのまま船形村に土着しました。 船形村は里見水軍所縁の村だったと考えられています。 九右衛門の子孫は、船形村の名主を代々務めました。 里見氏一門に正木九太郎という人がいます。 九右衛門と何か所縁... ...続きを見る

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2009/04/02 15:45
頼朝が授けた水田
千葉県館山市川名には、「頼朝免」と呼ばれる小字名が残っています。 那古寺(館山市那古)の北側に位置する水田地帯の一部で、源頼朝が安房に落ちてきた時に授けた水田だと伝わっています。 どのような経緯で授けられたのかは、現在では不明らしいです。 近くには長勝寺(館山市川名)があります。 那古寺、長勝寺共に頼朝に所縁のある寺院です。 「この辺かな?」と思う所を適当に撮っただけなので、この写真に写っている部分が「頼朝免」と呼ばれる一画かは不明です。 イメージ写真だと思って下さい。 ...続きを見る

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2009/03/29 16:23
桜はまだ早かった
ポカポカ陽気だったので史跡巡りをしてきました。 今回行ったのは、千葉県南房総市和田町の里見氏と正木氏所縁の場所です。 予定していた場所5ヶ所と、たまたま通りかかった神社1ヶ所を回りました。 和田町には源頼朝所縁の場所もあったのですが、今回の予定に入れ忘れました。 また和田町近隣に行く時にでも寄ってくるつもりです。 桜の花が咲いているかと期待していたのですが、まだ早かったみたいです。 所々咲いている場所はありましたが、まだ全然見頃ではありませんでした。 ...続きを見る

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2009/03/27 18:36
鶴谷八幡宮の別当寺 4
前日の記事の続きです。 ...続きを見る

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2009/03/26 20:26
鶴谷八幡宮の別当寺 2
前日の記事の続きです。 ...続きを見る

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2009/03/24 19:25
鶴谷八幡宮の別当寺
千葉県館山市那古には、那古寺という真言宗智山派の寺院があります。 坂東三十三ヶ所観音霊場の第三十三番札所です。 安房国礼三十四ヶ所観音霊場の第一番札所、東国へんろ関東八十八ヶ所霊場の第五十六番札所でもあります。 行基が元正天皇の病気平癒のために千手観音像を彫って祈願したところ、天皇の病気が治ったので、養老元年(717年)に勅願によって山上に伽藍が創建されたと伝えられています。 承和14年(847年)慈覚大師の中興開山とも伝えられています。 本尊は千手観世音大菩薩です。 源頼朝が建久年... ...続きを見る

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2009/03/23 17:07
芥川龍之介所縁の品を寄贈されたお寺
千葉県館山市北条には、法性寺という日蓮宗の寺院があります。 先日の記事の塩蔵寺に行った時に付近を散策していて目に入ったので寄ってみました。 手持ちの本には載っていない寺院だったのですが、パソコンで検索したら「里見義康が境内地を寄進した」ということが載っていたので、一応「源氏」のテーマカテゴリーを設定しました。 安房地域の寺社を中心に活躍し「波の伊八」という通称で五代続いた欄間彫刻家の三代目伊八(武志伊八郎信美)の作品があります。 ...続きを見る

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2009/03/20 22:58
摩尼宝珠山塩蔵寺
千葉県館山市北条には、塩蔵寺という真言宗智山派の寺院があります。 養老2年(718年)に創建されました。 千葉県南房総市北朝夷にある円蔵院の末寺です。 本尊は、室町期作(江戸期に頭部を補修)の木造地蔵菩薩立像です。 かつては塩蔵坊と呼ばれ、安房里見氏から5石の寺領を与えられていました。 ...続きを見る

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2009/03/19 15:22
源頼家を祀る神社
千葉県鴨川市内浦には、かつて白旗八幡神社が鎮座していました。 鎌倉幕府第二代将軍の源頼家の霊を祀っていたと伝えられています。 現在は、同地区にある大萩神社に合祀されています。 白旗八幡神社の跡地には、大萩青年館が建っています。 ...続きを見る

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2009/03/18 12:55
加筆修正
2007年12月13日の記事で書いた元八幡神社について、源頼朝と安房里見氏が関係する文章を手持ちの本から見つけました。 頼朝が源氏再興を祈願したということと、安房里見氏が神主に領地を与えたということが書いてありました。 新しく記事にしようかとも思ったのですが、以前の記事に加筆修正しました。 今までは源氏との所縁はない神社だと思っていたのですが、その文章を見つけたことにより「源氏」のテーマカテゴリーも追加しました。 ...続きを見る

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2009/03/16 16:21
渡良瀬橋の歌詞を思い出しました
千葉県鴨川市小湊には、八雲神社が鎮座しています。 かつては市川村という村落の鎮守でした。 源頼朝が安房に落ちてきた時に立ち寄り、太刀と弓矢と団扇を奉納したと伝わっています。 しかし、現在は残っていないそうです。 ...続きを見る

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2009/03/15 17:30
日蓮誕生地 2
前日の続きです。 ...続きを見る

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2009/03/11 14:37
日蓮誕生地
千葉県鴨川市小湊には、日蓮聖人の誕生地に因んだ誕生寺という寺院があります。 建治2年(1276年)に、日蓮の直弟子の日家上人が日蓮の生家跡に一宇を建立し高光山日蓮誕生寺と称しました。 明応7年(1498年)に地震による大津波で倒壊し、妙の浦(鯛の浦)の丘辺に移転。 元禄16年(1703年)にも地震による大津波で倒壊し、現在地に移転しました。 安房里見氏から寺領を与えられました。 里見氏家臣の正木氏も領地を寄進し、法華経を納めています。 江戸幕府第三代将軍徳川家光からも寺領を安堵されて... ...続きを見る

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2009/03/10 23:06
房州伊勢の宮
千葉県鴨川市天津には、房州伊勢の宮と呼ばれる天津神明宮が鎮座しています。 はるか昔、天津には、東方鎮護の神として「もうけ明神(えびす様)」が祀られていました。 治承4年(1180年)、安房に落ちてきた源頼朝が伊勢神宮に源家再興を祈願しました。 大願が成就した頼朝は、寿永3年(1184年)に伊勢神宮の分霊を天津に勧請して、もうけ明神と共に祀りました。 以来、房州伊勢の宮と呼ばれて尊崇されてきました。 日蓮聖人の尊崇も厚く、修行地(清澄寺)への道程で必ず立ち寄ったと伝えられています。 か... ...続きを見る

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2009/03/08 18:26
ひな祭りで有名らしい
千葉県勝浦市浜勝浦には遠見崎神社が鎮座しています。 安房里見氏、正木氏から崇敬されました。 江戸時代までは八幡岬突端の富貴島にあったと伝えられています。 慶長6年(1601年)に津波で流されてしまい、宮の谷という所に再建されましたが、万治2年(1659年)に現在地に遷座しました。 数日前にテレビのニュースで「勝浦ビッグひな祭り」というイベントを放送していました。 どこかで見たことのある神社だと思ったら、昨年の秋に訪ねた遠見崎神社でした。 ...続きを見る

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2009/02/27 16:10
八幡岬
千葉県勝浦市浜勝浦には、八幡岬という岬があります。 かつて勝浦城があった場所で、現在は公園になっています。 ...続きを見る

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2009/02/23 22:32
久留里城内
千葉県君津市久留里にある久留里城には、年に1回くらいは行っているような気がします。 ...続きを見る

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2009/02/20 21:45
久留里城下
千葉県君津市久留里にある久留里城の薬師曲輪から撮った写真です。 ...続きを見る

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2009/02/15 13:57
安房里見氏菩提寺巡り 17−1
千葉県君津市久留里市場には、福徳山東陽院正源寺という浄土宗の寺院があります。 徳治2年(1307)年に時宗の寺院として創建されたのが始まりです。 天文15年(1546年)に里見義堯の母の菩提寺となり、義堯から260石を寄進され、その時に浄土宗に改宗されました。 東陽院という院号は、義堯の法号に由来します。 里見氏改易後は、江戸幕府第三代将軍徳川家光から御朱印寺として寺領20石を拝領しました。 ...続きを見る

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2009/02/08 22:24
細田妙見
千葉県君津市浦田には、久留里神社が鎮座しています。 治安元年(1021年)に平忠常によって創建されました。 忠常を祖とする千葉氏一族の氏神として栄え、かつては両総六妙見(千葉六妙見)の一社として細田妙見と呼ばれていました。 六妙見は、平将門の勧請によるものという伝承もあります。 源頼朝が立ち寄り戦勝祈願をしたと伝えられています。 建久3年(1192年)に源頼朝が千葉頼胤に命じて社殿を修造させています。 上総武田氏や安房里見氏等の代々の領主から尊崇され、武運長久の祈願をされています。 ... ...続きを見る

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2009/02/04 14:21
大日如来信仰
千葉県君津市怒田には、金福寺という真言宗智山派の寺院があります。 かつては、大日山金剛寺と号しました。 本尊は大日如来です。 里見義堯が大日如来を信心して創建したと伝えられています。 ...続きを見る

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2009/01/30 14:17
社殿は未撮影
千葉県君津市愛宕には、愛宕神社が鎮座しています。 京都の愛宕神社(坂上田村麻呂の創建)を、天永2年(1111年)に勧請したと伝えられています。 明治初期まで愛宕大権現と称していました。 安房里見氏からの崇敬は深く、里見義堯が社領を300石寄進しています。 千葉県南房総市原岡に鎮座している愛宕神社は、この愛宕神社を里見義頼が元亀3年(1572年)に勧請したものです。 ...続きを見る

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2009/01/26 22:14
藤原氏の祖先神を祀る神社
千葉県君津市平山には、大原神社が鎮座しています。 祭神は「天児屋根命:藤原氏(中臣氏)の祖先神」、「天太玉命:忌部氏の祖先神」、その他11の神様です。 創建年代は不詳です。 「久留里記」の記述によると、文明年間(1469年〜1487年)以前に奈良の春日大社を勧請したようです。 天正5年(1577年)に里見義弘が社殿を再建して社領を寄進しています。 里見氏以後も、代々の領主に厚く尊崇されました。 ...続きを見る

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2009/01/22 17:04
一般拝観可能
ずっと前から行きたいと思っている寺院があります。 鎌倉市の長寿寺です。 このお寺は、何人かで事前予約して精進料理付き(4600円)で拝観可能でした。 一人や二人では拝観不可能だったので、今までは諦めていました。 ところが、本日たまたま知ったのですが、2008年3月から金〜日の週三日間だけ一般拝観が可能になったようです。 もっと早く知っていたら、今年の初詣も長寿寺の拝観日に合わせることができたのに・・・(~_~;) ここには足利尊氏の墓所(供養塔)があるのです。 鎌倉公方足利基氏が父... ...続きを見る

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2009/01/20 19:26
親交のあるブログ
よく閲覧させていただいているブログの内の二つから、昨年12月〜今月にかけて自分の知らない源氏所縁の寺社の情報を二つ取得することができました。 東京都にある神社と千葉県にあるお寺だったので、いつか行こうと思う史跡リストに加えました。 千葉県の方は、夏までに行ってきたいと思っています。 特に検索をしなくても情報が手に入ったのはラッキーでした。 記事を読んだ情報だけでもなんとかなるとは思いますが、どちらのブログの管理人様ともネット上では親交があるので詳しく訪ねることも可能だからです。 ...続きを見る

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2009/01/19 22:52
上総天羽郡総社
千葉県富津市八幡字鶴屋敷には、鶴峰八幡宮(鶴峯八幡神社)が鎮座しています。 創建年代は、養老2年(718年)と貞観2年(860年)の説があります。 昔、この付近が大風涛に見舞われて漁師が困窮したことがあったそうです。 その時に国司の夢枕に「八幡様にお祈りせよ」というお告げがあり、国司が神助を祈願すると大風涛は収まったそうです。 漁師達は感謝して八幡神社を造営したとのことです。 石橋山の合戦に敗れた源頼朝が安房で再起した時に、この神社に立ち寄って戦勝祈願をして短刀を奉納したと伝えられてい... ...続きを見る

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2009/01/17 17:17
初詣2009
毎年恒例の初詣(鎌倉日帰り旅行)に行ってきました。 ...続きを見る

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2009/01/13 22:12
2008年清和源氏&その他史跡巡りマイベスト5
昨年に訪れた寺社等の中で、とても印象に残った場所を5つあげようと思います。 ...続きを見る

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2009/01/03 23:26
2009年度初詣計画
今月末の給料と来月末の給料からいくらか捻出して、2月上旬に初詣に行こうと思っていました。 しかし、予定を変更して1月中に行くことにしました。 行く場所は、毎年恒例の鎌倉です。 当初は車で行く予定だったのですが、電車を使うことにしました。 これでかなり交通費を節約できます。 駐車場を探す必要もありません。 帰りにお土産を買うことを考えれば車の方が良いのですが、お土産は宅配便で自宅に送ることにしました。 隣りの県だから、翌日には着くでしょう。 鎌倉到着後の予定としては、鶴岡八幡宮、源... ...続きを見る

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2008/12/28 21:00
安房里見氏菩提寺巡り 16
千葉県富津市佐貫には、日月神社が鎮座しています。 日本武尊が東征の折りにこの地に立ち寄った時に、尊崇する日月の神(天照大神、月読尊)を祀ったのが始まりと伝えられています。 後に日月の神の弟神の素盞鳴尊も祀られるようになりました。 日月神社は、日月星山とも呼ばれます。 かつて同地に日月星山天羽院放光寺という寺院があったためです。 里見義弘の母の菩提を弔うために、元亀2年(1571年)に正木源七郎時盛を奉行として社殿を造営したと伝えられています。 ...続きを見る

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2008/12/23 16:44
祈願成就の寺
千葉県富津市竹岡には、薬王寺という真言宗智山派の寺院があります。 本尊は、薬師如来です。 ...続きを見る

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2008/12/11 23:04
偉い人が通った坂
千葉県南房総市富浦町福澤には、ちょっと変わった名前の坂があります。 ...続きを見る

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2008/12/03 14:42
タヌキがいっぱい 3
また前日の記事の続きです。 ...続きを見る

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2008/12/01 11:55
タヌキがいっぱい
群馬県館林市堀工町には、分福(文福)茶釜で有名な茂林寺があります。 応永33年(1426年)に、大林正通大和尚が開山した曹洞宗の寺院です。 正通の出自は、土岐氏の一族と言われています。 土岐氏は、清和源氏の一族で、美濃を本拠地にしたことから美濃源氏と称されることもあります。 ...続きを見る

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2008/11/29 15:52
次回の史跡巡りの予定
千葉県には、源頼朝に因んだ地名がいくつかあります。 次回の史跡巡りは、頼朝所縁の地名が残る地域に行こうかと思っています。 メインは南房総市と館山市になりそうです。 一応は年内を予定しておりますが、年内に行けずに年が明けてしまった場合は鎌倉に初詣をするので、その後に延期します。 昔から歴史は好きだったのですが、ここ数年はよく史跡巡りをするようになりました。 ブログを始めて、お手軽に記録を残せるようになったことが一番の要因なのでしょう。 ...続きを見る

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2008/11/28 17:03
将軍家の休憩所 2
前日の記事の続きです。 ...続きを見る

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2008/11/26 01:29
将軍家の休憩所
栃木県下野市小金井には、真言宗智山派の慈眼寺があります。 本尊は、十一面観世音菩薩です。 建久7年(1196年)に新田義兼の開基で新田氏一門の祈願所として創建されたと伝えられています。 ...続きを見る

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2008/11/25 19:06
通りすがりに見つけた神社 8
栃木県下野市には、薬師寺八幡宮が鎮座しています。 創建については2つの説があります。 清和天皇の勅状によって東北守護の大神として石清水八幡宮の分霊を勧請したとする説と、下野薬師寺の寺内社として宇佐八幡宮の分霊を勧請したという説です。 ...続きを見る

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2008/11/17 23:53
安房里見氏の調査報告書
NPO法人安房文化遺産フォーラムという団体が「今よみがえる里見忠義の足跡 伯耆倉吉里見忠義関係資料調査報告書」という本を発売したことを知りました。 里見氏調査会という団体が書いた本で、安房国から伯耆国に移った後の里見氏のことが書いてあります。 今までに読んだ本には伯耆国での里見氏についてはほとんど書かれていなかったので、とても興味深いです。 ...続きを見る

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2008/10/27 17:32
婆沙羅
かなり前に買ったのに読んでいなかった「道誉なり」という本を読み始めました。 近江源氏佐々木氏の佐々木高氏(道誉)を主人公にした本です。 ...続きを見る

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2008/10/17 23:53
御所様達の紹介本
「日本一小さな大大名」という本を見つけて購入しました。 ...続きを見る

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2008/10/09 19:54
l光院の仏様達
前日の記事の続きです。 ...続きを見る

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2008/09/25 12:13
l光院
栃木県さくら市喜連川には、喜連川足利氏の祖である足利国朝の菩提寺のl光院があります。 ...続きを見る

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2008/09/24 17:29
御所様の取り組み
栃木県さくら市喜連川には、「御用堀」と呼ばれる水路があります。 「横丁堀」とも呼ばれます。 平成2年(1990年)度の旧:喜連川町の「誇れるまちづくり事業」で「やすらぎの散歩道」として整備されて鯉が放流されました。 ...続きを見る

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2008/09/21 14:57
喜連川御所
栃木県さくら市喜連川には、喜連川氏代々が居館とした喜連川公方館(喜連川陣屋)がありました。 場所は、現在のさくら市喜連川庁舎のある所です。 公方館は、明治9年(1876年)に火災で焼失してしまいました。 平成3年(1991年)に、門だけが再建されました。 ...続きを見る

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2008/09/17 04:29
源惟朝創建の神社
栃木県さくら市喜連川には、喜連川神社が鎮座しています。 この土地を支配した塩谷氏、喜連川氏代々に崇敬されました。 ...続きを見る

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2008/09/13 10:37
御所様の菩提寺
栃木県さくら市喜連川には、関東足利氏(鎌倉公方)の正統な末裔である喜連川氏の菩提寺の龍光寺があります。 喜連川氏は、室町将軍家滅亡後は実質的に足利宗家の扱いでした。 江戸時代には、旧将軍家(室町将軍家)の家柄として高い家格を誇り、江戸幕府より御所号の使用を許されていました。 龍光寺は、最初は東勝寺と号しました。 足利尊氏によって創建され、下野国の安国寺に指定されたと伝えられています。 喜連川藩主の喜連川(足利)頼氏が、父の足利頼純(頼淳)をこの寺に葬り、頼純の法号を取って龍光院と改めま... ...続きを見る

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2008/09/09 22:26
松月院御所塚
茨城県古河市牧野地には、かつて松月院という臨済宗円覚寺派の寺院がありました。 松月院は、喜連川義親の妻の法号でもあります。 義親は、古河公方足利義氏の孫です。 松月院の寺域の一部だったと考えられている場所に松月院御所塚と呼ばれる場所があります。 御所塚という名称から、古河公方の誰かの墓所だと考えられています。 御所塚には、二基の宝篋印塔があります。 ...続きを見る

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2008/09/04 14:47
鶴峯八幡神社
茨城県古河市中田には、鶴峯八幡神社が鎮座しています。 養和元年(1181年)に創建されました。 神社の説明板によると、治承4年(1180年)に源頼朝が奥州征伐の折にこの地に立ち寄り戦勝祈願をしたところ、武運が開け御神徳を感じて、その宿願によって鶴岡八幡宮を勧請したことになっています。 奥州征伐が行なわれたのは1189年なので、この説明板の記述はおかしいです。 鶴岡八幡宮の詞官高橋摂津守の次男の鴨次郎吉元が初代神主になりました。 明治44年(1911年)の利根川の河川改修工事で現在地に遷... ...続きを見る

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2008/09/01 19:00
甲斐武田氏所縁!?の寺
千葉県南房総市山名には智蔵寺という曹洞宗の寺院があります。 山名という地名が、清和源氏新田流の山名氏と何か関係あるのかな?と気になってしまいます。 おそらく何の関係もないでしょうね。 寺伝によると、開基は源信勝(武田次郎三郎信勝)となっています。 武田信勝は、武田勝頼の嫡男です。 織田信長に天目山の戦いで敗れた勝頼親子は自害して果てました。 しかし、この寺の伝承では、信勝は房総に落ち延びてきたということになっています。 戦国期に、甲斐武田氏の流れを汲む一族が上総国を支配していた時期... ...続きを見る

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2008/08/28 21:34
宮下村惣大社
千葉県南房総市宮下には、莫越山神社が鎮座しています。 社伝によると、養老2年(718年)に神体山の麓に遥拝所として造営され、延喜式神名帳所載の式内社の安房国六座中の一であったそうで、古くから信仰を集めて、この地区の中心的神社だったそうです。 別当寺であった天台宗の延命山高雲寺が、天保3年(1832年)に火災で蔵書を焼失したため由緒については不明な点が多いそうです。 戦国期には、里見氏から社領を与えられています。 天正19年(1591年)に里見義康が書いた朱印状が所蔵されています。 義康... ...続きを見る

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2008/08/24 21:56
石堂諏訪神社
千葉県南房総市石堂には、諏訪神社が鎮座しています。 由緒については、手持ちの本やネットではよくわかりませんでした。 弘治3年(1557年)に里見義堯が社殿の修復をおこなっています。 ...続きを見る

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2008/08/22 21:24
愛宕山大井寺
千葉県南房総市大井には、大徳院という真言宗智山派の小さな寺院があります。 かつては大井寺と呼ばれていました。 本尊は不動明王です。 安房里見氏の一族の里見実堯によって創建されました。 寺伝によると、創建時は地蔵菩薩が本尊だったそうです。 ...続きを見る

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2008/08/19 12:50
加茂明神
千葉県南房総市加茂には、加茂神社が鎮座しています。 かつては加茂明神と呼ばれていました。 別当寺を務めた日運寺の住職の日翁が書いた「加茂社略縁起」によれば、和銅5年(712年)の創建とのことです。 雨乞い祈願の霊験があるそうです。 日運寺同様に正木頼忠の請いで、里見氏から社領を3石賜ったらしいです。 里見氏が去った後は、徳川氏から社領を安堵されました。 1912年に、周辺にあった18社を合祀しました。 ...続きを見る

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2008/08/15 23:43
房総のアジサイ寺
千葉県南房総市加茂には、「房総のアジサイ寺」と呼ばれる日運寺があります。 初めは勝栄坊と称する真言宗の小さな御堂でしたが、1264年に日蓮が鎌倉から小湊に帰る途中に立ち寄り、当時の堂主だった行然法印を説得して日蓮宗に改宗させてしまいました。 後に、安房里見氏の有力家臣の正木氏の一族で、伊豆で法華経に帰依して僧侶になっていた正木時通が安房に帰国して中興しました。 時通は日運と号し、寺名も日運寺となりました。 1581年には、時通の弟の正木頼忠の請いで里見義頼が2貫文の寺領を与えています。 ... ...続きを見る

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2008/08/11 12:42
頼朝が安産祈願をした神社
千葉県南房総市沓見には、莫越山神社が鎮座しています。 創建は神武元年(紀元前660年)と伝えられています。 工匠の神様や安産の神様が祀られています。 莫越山神社では、古くから濁酒を醸造して神前に奉げる風習がありました。 現在でも安房国総社鶴谷八幡宮の例祭時に莫越山神社で醸造した清酒を奉げています。 ...続きを見る

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2008/08/09 13:12
真野の大黒様
千葉県南房総市久保には、真言宗智山派の真野寺があります。 大黒天像が有名で、近隣からは「真野の大黒様」と呼ばれて親しまれています。 725年に行基によって、現在地の東方約1kmの高倉山に開山されました。 1179年に源頼朝が源氏再興を祈願したと伝えられています。 頼朝は、征夷大将軍宣下のあった1192年に法華経判木を寄進しています。 1206年に焼失し、鎌倉幕府第二代執権北条義時が私財を投じて現在地に再建しました。 室町期に里見氏から寺領を賜り、江戸期に徳川将軍家から御朱印43石を賜... ...続きを見る

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2008/08/05 18:29
勘違い
千葉県君津市&富津市の清和源氏一族所縁の場所をいくつか回ってきました。 それはついでで、本当の目的は君津市の久留里地区にある変わった狛犬のある神社に行くことでした。 その狛犬の情報を知ったのは、半年くらい前でした。 久留里神社にあると思い込んでいたのですが、久留里神社には目的の狛犬がありませんでした。 ガセネタだったのかと落ち込んでしまいました。 久留里神社自体は、源頼朝や里見氏、武田氏等の源氏に所縁の深い神社です。 もともといずれは行く予定の場所でした。 家に帰ってから調べてみた... ...続きを見る

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2008/08/02 09:45
頼朝が名前を変えさせた寺
千葉県館山市川名には、長勝寺という真言宗智山派の寺院があります。 養老元年(717年)に行基が開基しました。 江戸時代末期に寺子屋が開かれ、明治に入ると長勝寺を仮校舎として川名小学校が開かれました。 川名小学校は、近隣にある西行寺という浄土宗の寺院を仮校舎として開かれた小学校と合併して現在の船形小学校(館山市船形)の原形となりました。 ...続きを見る

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2008/07/30 14:29
頼朝伝承がある寺
千葉県南房総市富浦町深名には、真言宗智山派の常光寺があります。 行基によって養老年間(717〜723)に開基されました。 元亀年間(1570〜1573)に火災で焼失したことがあります。 里見氏から寺領を与えられていました。 源頼朝から御祈祷のための田畑を賜ったという伝承も残っています。 ...続きを見る

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2008/07/25 22:41
今度はどこに行こうかな?
昨日も、いつもの2軒コースで飲みに行ってしまいました。 2軒目の店のマスターから「今度はどこに行くんだい?」と聞かれました。 3軒目に行くということではなく、趣味の源氏史跡巡りのことです。 4月に群馬、今月は栃木に行ったばかりなので、次回のことはまだ考えておりません。 行きたい所はいっぱいあります。 県外で一番の候補は埼玉県です。 埼玉県の史跡は、ほとんど訪ねていないからです。 埼玉県には、古河公方関連の菩提寺がいくつかあります。 千葉県内も、まだまだ訪ねていない所はたくさんあり... ...続きを見る

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2008/07/23 11:10
牛頭天王
千葉県南房総市富浦町深名には、八坂神社が鎮座しています。 御祭神は、素戔鳴尊(スサノオノミコト)です。 673年に深名村の修験仙寿院の祈祷所として創建されました。 京都祇園の八坂神社を勧請したと言い伝えられています。 明治に入るまでは牛頭天王と呼ばれていました。 1571年に里見義頼によって再建されたという伝承があります。 再建されたということは、地震や火事等で消失したことがあるのでしょうね。 ちなみに、仙寿院は明治時代に全焼し現在は残っておりません。 ...続きを見る

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2008/07/22 19:03
安房国札第四番
千葉県南房総市富浦町青木には、真言宗智山派の寺院で安房国札三十四箇所観音霊場第四番の真勝寺があります。 安産、火除け、厄除けのお寺として信仰されています。 ここは、里見義頼の代に安房里見氏の祈願所になりました。 かつてはそれなりの規模を誇ったようですが、現在は小さな本堂と浅い岩屋があるくらいです。 真勝寺のすぐ近くには源頼朝が隠れたと伝わる穴や、相模三浦氏の庶流の多田良氏のやぐらがあるようです。 機会があれば、探して行ってきたいです。 ...続きを見る

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2008/07/18 23:05
大宮明神
千葉県南房総市富浦町豊岡には、大宮八幡神社が鎮座しています。 かつては、大宮明神と呼ばれていました。 岡本城址のすぐ近くなので里見氏との所縁も深かったと思いますが、手持ちの本やネットでも社領を与えたことくらいしか書いてありませんでした。 ...続きを見る

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2008/07/15 22:32
愛宕社
千葉県南房総市富浦町原岡の国道沿いに愛宕神社が鎮座しています。 かつては愛宕社という名で、正善院という寺院が別当寺でした。 1572年に、岡本城主となっていた里見義頼によって久留里愛宕社から勧請されました。 ...続きを見る

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2008/07/12 20:10
里見公園
千葉県南房総市富浦町豊岡には、里見氏が一時居城としていた岡本城がありました。 跡地は、現在「里見公園」となっています。 公園といっても、山頂の狭い広場にベンチとトイレがあるくらいで、周りの景色も全然楽しめません。 端の方に岡本城址の碑と祠と墓所のような場所がありました。 ...続きを見る

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2008/07/09 14:30
一風変わった御神体のある神社
千葉県南房総市富浦町多田良の大房岬の入り口近くには、瀧淵神社が鎮座しています。 瀧淵神社は、かつては瀧淵山龍善院と号して大房岬(南房総市富浦町多田良)にありました。 大房岬にあった時は、領域に滝があり水神を祀っていたと伝えられています。 この滝は現在でも大房岬にあるそうです。 機会があれば観に行こうと思っています。 701年には、役小角によって不動明王が祀られ大武佐不動と称したと伝えられています 安房里見氏初代の義実も、この不動尊に武運を祈願したと伝えられています。 明治期に大房岬... ...続きを見る

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2008/07/08 20:44
栃木旅行
昨日は、神社マニアの友達と栃木県に寺社巡りに行ってきました。 時々曇ったものの天気は概ね晴れでした。 盆地で熱がこもるせいもあるのか、とても蒸し暑い一日でした。 友達と合流する前に、茨城県古河市に寄って、源頼朝&古河公方足利氏所縁の史跡を撮影。 友達と合流後は栃木県那須郡那珂川町にある神社を目指すことにしました。 まず一番遠い所に行ってから、友達の家の方に帰ってきながら寺社巡りをすることになりました。 ところがナビに従って走っていたら、通り道に別の目的地がありました。 先にそっちに... ...続きを見る

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2008/07/06 15:40
里見大黒
千葉県南房総市富浦町原岡の長泉寺には、里見氏から寄進されたと伝えられる大黒天像があります。 里見家の奥方(里見義頼の側室)が書いた書状も所蔵しております。 里見家に乳母として仕えていたおちが城を下がる時に渡されたもので、深名村(現:南房総市富浦町深名)に土地を与え、長泉寺に世話になるように勧めたものです。 おちが与えられた土地は、おちの父親の平兵衛が耕作していましたが、後に長泉寺の土地になりました。 この土地は、今も「長泉寺田」と呼ばれて残っています。 ...続きを見る

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2008/07/05 07:52
里見水軍所縁の神社
千葉県南房総市富浦町多田良にある神明神社(北浜神明神社)は、祭礼時に御船(船型の屋台)を出します。 この御船は、戦国期に安房国を支配した里見氏が擁した里見水軍に因んでいるらしいです。 多田良地区の近隣の商店の人からの聞き込み情報だけなので詳しいことはわかりません。 ...続きを見る

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2008/07/04 13:05
安房里見氏菩提寺巡り 番外編2
千葉県市原市朝生原には、里見義堯の娘の種姫の菩提寺の宝林寺があります。 宝林寺は曹洞宗の寺院で、種姫が開いた草庵が始まりとされています。 種姫は、正木氏の一族の正木大太郎に嫁いでいました。 夫の正木大太郎が戦死したため、尼になって安房国白浜(現:南房総市白浜町)に種林寺を建てて住み、晩年になって宝林寺に移り住みました。 種姫は、滝沢馬琴の小説「南総里見八犬伝」の伏姫のモデルとも伝えられています。 ...続きを見る

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2008/07/03 15:08
新田の庄横瀬郷
埼玉県深谷市横瀬には、横瀬神社が鎮座しています。 隣接する新田義兼の菩提寺である華蔵寺が別当寺でした。 神社自体の由緒については何もわからなかったのですが、せっかく写真を撮ったので載せておきます。 ...続きを見る

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2008/06/28 22:14
お使いのついでに
家のお使いで親戚の家に行ってきました。 親戚の家の周辺には清和源氏の一族所縁の場所がいくつかあります。 時間が遅かったので1ヶ所だけ行ってきました。 道が細くて怖かったです。 親戚から道の細さは聞いていたので、最初は親戚から軽自動車を借りようかとも思いました。 とりあえず様子見に行ってから考えようと思って、自分の車で行ってみました。 道沿いに建っている家々には自分の車より大きな車が何台か駐車してありました。 そんな車が通れるなら、自分の車が通れないわけがないので気持ち的に楽になりま... ...続きを見る

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2008/06/27 23:40
埼玉史跡第1号 3
また前日の続きで華蔵寺の紹介です。 ...続きを見る

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2008/06/25 14:19
埼玉史跡第1号 2
前日に続き華蔵寺の紹介です。 ...続きを見る

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2008/06/24 13:34
埼玉史跡第1号
埼玉県深谷市横瀬には新田氏二代目義兼の菩提寺の華蔵寺があります。 ここは、私が埼玉県で初めて訪ねた史跡でもあります。 ...続きを見る

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2008/06/23 23:37
六分の一 2
前日の記事の続きです。 ...続きを見る

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2008/06/19 19:10
六分の一
群馬県高崎市山名町には、鎌倉〜室町期を通して活躍した山名氏が創建した山名八幡宮が鎮座しています。 1175年〜1177年の間ごろに、新田氏初代義重の三男の山名義範が、豊前国(現:大分県)の宇佐八幡宮を勧請したのが始まりとされています。 ...続きを見る

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2008/06/18 16:19
何となく思いつきで
ふと仕事中に『アジサイが見たい』と思い、帰宅してから「房総のアジサイ寺」と言われる日運寺の様子をネットで調べてみました。 我が家のアジサイは咲き始めだったので、せっかく日運寺に行っても見頃ではなかったらつまらないと思ったからです。 南房総市のホームページに6月10日のアジサイの写真が載っていたのですが、まだ見頃には早い感じでした。 しかし、それから1週間経っているので『たぶん見頃になっているのではないかな』と考えて、源氏史跡巡りを兼ねて出かけてきました。 本当は鎌倉のアジサイ寺(明月院)... ...続きを見る

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2008/06/17 23:54
中黒紋の寺 2
群馬県高崎市通町には、駿河大納言徳川忠長の菩提寺の大信寺があります。 徳川(松平)忠長は、江戸幕府第三代将軍徳川家光の弟です。 一般的に徳川忠長と呼ばれてきましたが、近年の研究では徳川ではなく松平を名乗っていたことがわかったそうです。 幕府より甲府23万8000石を賜り、後に駿河と遠江を加増され55万石になりました。 乱行が重なったため、大御所徳川秀忠より出仕を停められて甲斐に蟄居となりました。 蟄居の翌年に改易され、譜代大名の上野高崎藩主安藤氏に預けられました。 さらに翌年、高崎城... ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 2

2008/06/14 13:09
八幡荘の八幡宮
群馬県高崎市八幡町には、上野国一社八幡宮が鎮座しています。 古来より一国一社の八幡宮として尊崇されました。 957年に石清水八幡宮を勧請したのが始まりとされますが、創建者はわかっていないようです。 前九年の役の折に源頼義、義家親子が戦勝祈願をして社殿を改修しています。 その子孫であり鎌倉幕府の創始者である源頼朝も社殿を改修しています。 武田氏、豊臣氏、徳川氏からの尊崇も厚かったようです。 ...続きを見る

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2008/06/07 15:52
10ヶ所巡り
晴れたので源氏史跡巡りをしてきました。 今回は、南房総市富浦町を中心にまわりました。 目的地の近くに駐車できるような場所がなく、かなり離れた場所に駐車して歩いたりなんてこともありました。 日頃運動不足なので、それなりに良かったのかもしれません。 最大で12ヶ所まわるつもりだったのですが、ちょっと出発が遅れてしまって、時間が足りなくなってしまって10ヶ所になりました。 最低でも半分の6ヶ所まわれれば良いと考えていたので、満足です。 やはりナビの導入は、万能ではないとはいえ、アナログ地図... ...続きを見る

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2008/06/06 20:03
里見城の鬼門除け
前日の記事の続きです。 ...続きを見る

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2008/06/04 12:50
里見城跡
群馬県高崎市下里見町には、上野里見氏が代々居城とした里見城がありました。 里見城は、里見氏初代の義俊が築城したと伝えられています。 高崎市のホームページによると、義俊以降、義実(安房里見氏初代)が安房に入部するまで260年余り里見氏の居城だったそうです。 郷見神社にあった里見城跡の説明板には290年と書いてありました。 現在、跡地は墓地や神社や農地等になっています。 ...続きを見る

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2008/06/03 21:25
里見氏と武田氏所縁の山
群馬県高崎市下里見町には、郷見神社が鎮座しています。 地名は「里見」ですが、神社名はなぜか「郷見」です。 郷見神社は、かつては諏訪神社と呼ばれていました。 室町末期に里見郷が甲斐武田氏の支配下になった時に祀られました。 今でもこの山は「諏訪山」と呼ばれています。 1910年に下里見地区の四つの神社(諏訪神社外八社、月読神社外三社、八幡宮外二社、天満宮外一社)を合祀して今の神社名に変わりました。 ...続きを見る

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2008/05/31 19:21
安房里見氏菩提寺巡り 番外編1−2
前日の記事の続きです。 ...続きを見る

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2008/05/28 21:23
安房里見氏菩提寺巡り 番外編1−1
群馬県高崎市中里見町には、安房里見氏太祖の上野里見氏の菩提寺の光明寺があります。 天台宗の寺院です。 ...続きを見る

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2008/05/27 23:53
大河内松平氏所縁の神社
茨城県古河市錦町には、鵺退治の伝説で有名な源頼政を祀った頼政神社が鎮座しています。 もとは古河城の立崎郭という所にあったのですが、明治末の渡良瀬川の河川改修で古河城跡の大半が水没したため、大正元年(1912年)に現在地に建てられました。 ...続きを見る

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2008/05/24 15:48
中黒紋の寺
千葉県鴨川氏北風原には、安国寺という寺院があります。 寺伝によると、1546年に創建とのことです。 しかし、1339年に夢想疎石の勧めで足利尊氏が安国利生を願って全国に建てさせた「安国寺」の一つとも伝えられています。 おそらく足利尊氏の命で創建された後、衰退していたのを安房里見氏が中興したのだと思います。 元は臨済宗ですが、曹洞宗に改宗されました。 安房里見氏の菩提寺は曹洞宗の寺院が多いです。 安国寺の改宗もその影響ではないかと思います。 ...続きを見る

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2008/05/21 14:58
頼朝伝承
以前、母の実家の菩提寺に源頼朝が寺領を寄進した伝承があることが本に載っていたと書きました。 周辺に他にも頼朝の伝承がないかと思って母にいろいろと尋ねてみたのですが、源氏とは所縁のない人の伝承はいくつか知っているようでしたが肝心の頼朝の伝承については何も知らないようでした。 ついでに安房里見氏のことも尋ねてみたのですが、私が既に行ったことがある場所のことかしか知らないようでした。 ネットで調べてみたら、いくつかヒットしました。 お盆に母の実家に行く予定はあるのですが、機会があればもっと早く... ...続きを見る

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2008/05/20 22:27
あわいちごう
以前「あわいっこく」と題して、安房一国と粟一石の勘違いという源頼朝に関する逸話を紹介しました。 千葉県南房総市富浦町丹生には、それと良く似ているのですが微妙に異なる伝承があります。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 2

2008/05/18 13:26
洲宮神社
千葉県館山市洲宮には、安房里見氏が祈願所とした洲宮神社が鎮座しています。 ...続きを見る

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2008/05/15 22:42
正木氏の祈願所
千葉県館山市正木には、安房里見氏の家臣の正木氏が祈願所とした八幡神社があります。 創建年代は不明。 里見義弘の代に正木大膳の祈願所になりました。 ...続きを見る

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2008/05/14 16:24
里見義康御殿跡
千葉県館山市館山の城山公園内には、里見義康の御殿跡と伝えられる場所があります。 ...続きを見る

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2008/05/13 23:17
清和源氏史跡巡りマイベスト6
2008年になってから既に5ヶ月経っていますが、今さらながら2007年に行った史跡の中で気に入った場所ベスト6を載せたいと思います。 当初はベスト5にする予定でしたが、どうしてもこれは入れたいという場所が6ヶ所あったためベスト6になってしまいました。 ...続きを見る

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2008/05/08 16:51
安房里見氏安産祈願の寺
千葉県館山市上真倉には真楽院という曹洞宗の寺院があります。 本尊は地蔵菩薩です。 里見義頼の菩提寺である光厳寺(千葉県南房総市富浦町青木)開山の禅妙が正木氏に嫁いだ里見義頼の娘の安産祈願をした寺院でもあります。 また、この時に東条新六郎(里見氏家臣!?)という武士の家中の医師であった戸倉玄安が調薬を行っています。 義頼の娘は無事安産だったので、義頼の息子の義康が玄安に13石の領地を与えています。 ...続きを見る

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2008/05/06 22:27
種林寺跡
千葉県南房総市白浜町白浜には、かつて里見義堯の娘の種姫が建立した種林寺という寺院がありました。 跡地には、種林寺顕彰碑と種姫之碑という2つの碑が建っています。 ...続きを見る

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2008/05/02 18:19
安房里見氏菩提寺巡り 15
千葉県南房総市白浜町白浜には、満願寺という曹洞宗の寺院があります。 本尊は、地蔵菩薩です。 ...続きを見る

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2008/05/01 22:53
白浜城跡
千葉県南房総市白浜町白浜には、安房里見氏が最初の拠城とした白浜城跡があります。 同じく里見氏の居城であった館山城跡は「城山(しろやま)」ですが、白浜城跡は「城山(じょうやま)」と呼ばれているようです。 ...続きを見る

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2008/04/30 14:14
奈良の大仏を観てきました
体調が悪かったのですが、急に思い立って行ってきました。 GWの始まりということもあり、道が混んでいてかなり時間がかかってしまいました。 着いたのは夕方でした。 他にも近隣であちこち行きたい所があったのですが、またの機会ということにして源氏所縁の寺院を一つだけ回ることにしました。 途中で通ったダム湖が綺麗だったので降りて写真を撮りたかったのですが、時間がないのでこれもパス。 寺に着いた時は、もうかなり暗くなっていました。 大急ぎで撮影して、帰路につきました。 個別の写真を掲載した記事... ...続きを見る

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2008/04/29 22:20
青木観音堂
千葉県南房総市白浜町白浜の白浜城跡のすぐ前に小さな観音堂があります。 本尊は十一面観音菩薩です。 観音堂周辺は道が狭いので、離れた所に車を停めて歩いて探しました。 観音堂の前にあった手書きの説明板によると、三石観音の姉妹菩薩として信仰を集めて、安房国近隣だけでなく江戸からの参詣者も多かったそうです。 三石観音の場所は書いてなかったのですが、おそらく千葉県君津市草川原にある三石山観音寺(通称:三石観音)のことだと思います。 青木観音堂には、源民部太輔が奉納したと伝えられる賓頭盧尊者坐像(... ...続きを見る

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2008/04/26 17:15
安房里見氏菩提寺巡り 14
千葉県南房総市白浜町白浜には、1517年に里見成義が創建したと伝えられる福寿院という寺院があります。 一説には、里見成義の菩提寺の尉月庵(尉月院)の後身とも考えられています。 ...続きを見る

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2008/04/24 17:56
安房里見氏菩提寺巡り 13
千葉県南房総市白浜町白浜の青木地区には、かつて尉月庵(尉月院)という寺院がありました。 宗派、本尊は、わかっていないそうです。 跡地には、現在は青根原神社が鎮座しています。 尉月庵跡付近は館前とも呼ばれ、かつて里見氏の居館がありました。 安房里見氏二代目成義の法号は「尉月院」で、館前に墓があったと伝えられています。 明治期までは五輪塔もあったそうですが、現在は天保年間に土地の人が建てたと言われる石碑があるだけです。 ...続きを見る

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2008/04/23 13:49
里見桜
安房里見氏は伯耆国倉吉(現:鳥取県倉吉市)で終焉を迎えました。 倉吉市は、里見氏の安房における最後の居城のあった千葉県館山市と数年前から里見氏に関わる縁で交流をしています。 倉吉市では、有志によって里見桜と命名して育てたソメイヨシノの苗木を館山市に100本贈っています。 倉吉で土になった里見忠義が桜に生まれ変わって故郷の館山に里帰りするという企画だそうです。 贈られた100本は、館山を中心とする安房地域の里見氏所縁の地に順次植樹されていきました。 その最後の5本が、今月の17日に植樹し... ...続きを見る

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2008/04/20 18:15
滝口明神
千葉県南房総市白浜町滝口には、かつて滝口明神と呼ばれた下立松原神社が鎮座しています。 創建は紀元前660年と伝えられます。 1180年に源頼朝が安房に落ちてきた際に参詣したと伝えられ、後には里見義実が太刀を奉納して武運長久を祈願して神田を寄進したとも伝えられています。 1928年(昭和3年)には、同じく滝口にあった滝口天神宮を合祀しました。 ...続きを見る

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2008/04/16 17:24
安房国一宮 2
千葉県館山市大神宮には、安房国一宮の安房神社が鎮座しています。 創建は紀元前660年と伝えられています。 もともとは布良浜(館山市布良)という所に祀られていたのですが、717年に現在地に遷座しました。 源氏との所縁もあり、1180年に源頼朝が神田を寄進して開運の祈祷を命じています。 1498年に地震で社殿が倒壊してしまいますが、後に安房里見氏によって再建されています。 里見氏は、その後も何度か社殿を修復しています。 ...続きを見る

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2008/04/15 17:48
城山
千葉県館山市には、私の知る限りで「城山」と呼ばれる場所が二つあります。 館山城のあった場所と稲村城のあった場所です。 館山市に限らず、お城のあった場所は全国的に「城山」と呼ばれることが多いです。 館山城のあった城山は、公園として整備され、天守閣を模した博物館や桜やつつじ等の花で観光名所となっています。 ...続きを見る

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2008/04/14 18:17
玉竜庵跡
千葉県館山市稲には、かつて玉竜庵と呼ばれた寺院があります。 現在は、玉竜院という寺院名に変わっています。 臨済宗建長寺派の寺院です。 ...続きを見る

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2008/04/11 18:20
将軍家所縁の神社
千葉県館山市大井には、江戸時代まで大井明神または神力山神社と呼ばれた手力雄神社が鎮座しています。 ...続きを見る

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2008/04/10 17:45
安房里見氏菩提寺巡り 12−1
千葉県館山市安東には、安房里見氏の一族の高田姫の菩提寺である高田寺があります。 高田寺は曹洞宗の寺院で、同じく安房里見氏の菩提寺である延命寺の末寺です。 ...続きを見る

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2008/04/09 18:02
稲村ケ崎
神奈川県鎌倉市稲村ケ崎にある稲村ケ崎公園は、新田義貞徒渉伝説が残る地です。 ...続きを見る

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2008/04/07 18:11
高崎旅行
昨日は、群馬県高崎市まで清和源氏所縁の史跡巡りをしてきました。 群馬は千葉県よりも気温が低いおかげで桜がちょうど見ごろでした♪ ...続きを見る

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2008/04/06 17:08
上野国里見郷
千葉県在住の私にとって、上総と安房を支配した戦国大名の里見氏は馴染みの深い存在です。 この里見氏の発祥の地は上野国八幡荘の里見郷です。 清和源氏新田氏初代義重の庶長子義俊が相続した所領の一つが里見郷でした。 義俊は里見郷に館を構えて、里見義俊と名乗りました。 義俊から何代も経た一族の一人の里見義実が鎌倉公方の命で安房を公方の勢力圏にするべく送り込まれたのが安房里見氏の始まりです。 かつて上野国里見郷と呼ばれた地は、現在は群馬県高崎市の一部となっています。 本日はその高崎市に行ってきま... ...続きを見る

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2008/04/05 01:47
白旗神社(藤沢)
神奈川県藤沢市藤沢には、源義経を祀った白旗神社があります。 創建年代は不明で、かつては相模国一宮(寒川神社)を勧請したため寒川神社と呼ばれていました。 1198年に白旗神社を勧請し、1248年に義経を合祀したそうです。 ...続きを見る

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2008/03/30 17:37
お花見&史跡巡り
千葉県館山市の史跡巡りと城山公園(館山城)の桜を観てきました。 ...続きを見る

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2008/03/28 23:53
腰越状の書かれた地
神奈川県鎌倉市腰越には、源義経が逗留して腰越状を書いたとされる満福寺があります。 満福寺は、744年に行基によって創建されました。 ...続きを見る

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2008/03/26 18:02
急遽思いつきで・・・
車を洗って買い物に出たのですが、あまりにポカポカ陽気だったので急遽史跡巡りに行ってしまいました。 行った所は前日の記事でも書いた三浦長門守所縁の正文寺と足利尊氏が全国に建てさせた安国寺の一つです。 今回は史跡巡りよりもドライブを楽しんだという感じです。 あちこちで桜が微妙に咲いていました。 もう数日経ってからだったら、かなり綺麗だったかもしれません。 ...続きを見る

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2008/03/25 23:48
水戸藩所縁の寺
神奈川県鎌倉市扇ヶ谷には水戸徳川家に保護された尼寺の英勝寺があります。 英勝寺は、現在では鎌倉で唯一の尼寺です。 東国花の寺百ヶ寺の一つでもあります。 ...続きを見る

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2008/03/19 15:44
浄光明寺
神奈川県鎌倉市扇ヶ谷には、源頼朝の命で文覚上人が建てた草庵が始まりと伝えられる浄光明寺があります。 後に鎌倉幕府第六代執権北条長時が開基となって中興したと言われます。 室町期は、足利氏の保護を受け繁栄しました。 ...続きを見る

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2008/03/18 17:09
源義朝邸跡
神奈川県鎌倉市扇ヶ谷には、鎌倉五山第三位の寺格を持つ寿福寺があります。 源頼朝の死の翌年に北条政子によって頼朝の父義朝が館を構えた地に建立されました。 参道と墓地以外は非公開となっております。 ...続きを見る

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2008/03/15 16:59
妙本寺 3
また前日の続きです。 ...続きを見る

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2008/03/11 23:36
妙本寺 2
前日の続きです。 ...続きを見る

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2008/03/10 15:42
道が狭い(T_T)
昨日は、千葉県南房総市白浜町方面の史跡巡りをしてきました。 ...続きを見る

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2008/03/08 04:42
北条執権邸跡
神奈川県鎌倉市小町には、北条氏一門の供養のために建立された寶戒寺があります。 萩の花で有名なので萩寺とも呼ばれます。 ...続きを見る

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2008/03/01 08:02
毛利氏&島津氏の墓所
神奈川県鎌倉市西御門の源頼朝公の墓所のすぐ近くに鎌倉御家人の大江広元と毛利季光と島津忠久の墓所が並んでいます。 ...続きを見る

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2008/02/28 17:56
笹竜胆
ここ数日、今月の頭に鎌倉で撮影した写真を基に記事を作成しております。 撮影した順番に記事を書いていたのですが、頼朝公の墓所前の白旗神社の記事を書いたことに因んで、昨年撮影した鶴岡八幡宮境内の白旗神社の写真も載せることにしました。 ...続きを見る

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2008/02/27 15:13
法華堂跡
神奈川県鎌倉市西御門には白旗神社が鎮座しています。 御祭神は源頼朝公です。 ...続きを見る

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2008/02/25 14:28
大蔵幕府
神奈川県鎌倉市雪ノ下の清泉小学校前には、大蔵幕府跡の碑があります。 ...続きを見る

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2008/02/24 15:38
畠山氏
神奈川県鎌倉市雪ノ下には、鎌倉御家人の畠山重忠の館跡があります。 ...続きを見る

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2008/02/23 20:07
犬吠埼
1ヶ月くらい前にも少し書いたのですが、千葉県銚子市の犬吠埼には源義経伝説があります。 おそらく県内で唯一の義経伝説がある土地ではないかと思います。 犬吠埼の名前の由来はいくつかあるのですが、その一つに「義経が奥州落ちする際に愛犬をこの地に残していき、残された犬は主人を慕って七日七晩鳴き続けた」というものがあります。 ...続きを見る

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2008/02/21 17:25
安房里見氏菩提寺巡り 11
千葉県館山市安布里には、里見義弘の娘の佐与姫の菩提寺の源慶院があります。 源慶院は曹洞宗のお寺で、里見実堯、義堯、義弘の菩提寺である延命寺の末寺でもあります。 里見氏の時代は寺領が25石程ありましたが、里見氏が改易になった後は徳川氏によって15石に減らされました。 今まで巡った里見氏所縁の寺は、里見氏改易後も同様に安堵されたか加増されたケースが多かったです。 減らされたのは、とても珍しいと思いました。 ...続きを見る

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2008/02/18 17:32
ドライブ日和
よく晴れてポカポカ陽気でした。 こんな日にお休みだったので、史跡巡りをしてきました。 ...続きを見る

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2008/02/15 22:07
大巖院
千葉県館山市大網には、大巖院(仏法山大網寺)という寺院があります。 大巖院は、雄誉霊巖を開山とし、里見義康によって創建されました。 雄誉霊巖は、伯耆の国倉吉に配流された里見忠義を訪ねてもいます。 ...続きを見る

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2008/02/13 16:37
安房里見氏菩提寺巡り 10
千葉県館山市畑には、里見義弘の菩提寺と言われる瑞龍院があります。 瑞龍院は、義弘の開基で、安房里見氏初代の里見義実の菩提寺である杖珠院の末寺でもあります。 義弘の木像が祀られていたそうですが、今は頭部だけしか残っていません。 ...続きを見る

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2008/02/12 17:53
将軍家所縁
安房里見氏関係の本を読んでいたら、千葉県館山市の手力雄神社に鎌倉幕府第4代将軍九条頼経と室町幕府第3代将軍足利義満が関係していることが書いてありました。 次回の史跡巡りは、この神社に決定です。 せっかくだから館山市内の他の源氏所縁の寺社もいくつかリストアップして回るつもりです。 ...続きを見る

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2008/02/11 16:53
安房里見氏菩提寺巡り 9
千葉県館山市古茂口には、福生寺があります。 福生寺には、里見義豊の正室の一渓院の墓があります。 ...続きを見る

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2008/02/09 17:06
里見氏系図
最近「里見軍記・里見九代記・里見代々記」という安房里見氏関連の三種類の歴史書を一冊にまとめて現代語訳した物を買いました。 ...続きを見る

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2008/02/08 23:37
菩提寺
手持ちの源氏関係の本を見ながら今度行ってみようと思う史跡のリストアップをしていたのですが・・・。 ...続きを見る

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2008/02/06 16:04
鎌倉遠征
鎌倉にかなり遅い初詣に行ってきました。 初詣は鎌倉の鶴岡八幡宮と決めていたので、千葉県内で行きたい寺社があったのですが、今年は史跡巡りはまだしていませんでした。 去年撮影してストックしていた写真も残り少なくなっていたので、ちょうど良いタイミングだったかもしれません。 八幡宮周辺は中学生の修学旅行シーズンだったのか、中学生の集団をあちこちの寺社で見かけました。 雪の影響もあったのかもしれませんが、一般の観光客は少なめで、全体的に人は少なく感じました。 ...続きを見る

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2008/02/05 22:48
埋蔵金伝説
千葉県南房総市千倉町大貫には、里見氏の埋蔵金伝説が残る小松寺があります。 小松寺は、東国花の寺百ヶ寺の一つでもあります。 ...続きを見る

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2008/02/02 17:24
安房里見氏菩提寺巡り 8
千葉県南房総市富浦町原岡には、里見義弘の正室となった青岳尼の菩提寺の興禅寺があります。 興禅寺には青岳尼の供養塔があります。 青岳尼の供養塔は、千葉県館山市上真倉の泉慶院跡にもあります。 ...続きを見る

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2008/02/01 18:10
安房里見氏菩提寺巡り 7
千葉県館山市上真倉には、泉慶院跡があります。 泉慶院跡には、里見義弘の正室の青岳尼の供養塔があります。 ...続きを見る

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2008/01/31 18:36
安房里見氏菩提寺巡り 6
千葉県館山市上真倉には、安房里見氏の菩提寺の一つの慈恩院があります。 ...続きを見る

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2008/01/30 16:23
千葉寺
千葉県千葉市中央区千葉寺町には、坂東三十三箇所観音霊場第二十九番札所の千葉寺があります。 寺名は千葉寺(せんようじ)ですが、周辺の地名は千葉寺(ちばでら)です。 ...続きを見る

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2008/01/26 17:13
源義経と千葉県
ブログのアクセスレポートの逆リンクを辿る過程で、源義経所縁の史跡が千葉県にも存在することを知りました。 千葉県には源頼朝所縁の史跡はいっぱいあるのですが、義経所縁りものがあったとは驚きです。 銚子市の「犬吠埼」です。 義経が奥州落ちする際に、この地に残された愛犬が七日七晩鳴き続けたのが由来だそうです。 犬吠埼には2回行ったことがあるのですが、全然知りませんでした。 その内また行ってみようと思います。 ...続きを見る

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2008/01/24 17:27
小弓公方御所跡
千葉県千葉市中央区南生実町には、小弓公方足利義明の御所跡があります。 小弓御所は、小弓城とも呼ばれました。 「御所」と書いた方が、公方様の御座所としては感じが出ますね。 ...続きを見る

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2008/01/23 15:41
小弓公方墓所
千葉県市原市八幡には、満徳寺という寺が管理する御墓堂墓地という所があり、小弓公方足利義明の墓所があります。 ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 13

2008/01/15 23:50
安房里見氏菩提寺巡り 5
千葉県君津市三田には、安房里見氏6代目(従来は7代目とされましたが、近年の研究で里見実堯が4代目からはずされたため1代繰り上がりました)の里見義弘の菩提寺と言われる瑞龍院があります。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 8

2008/01/10 12:44
鎌倉攻め計画
毎年、初詣は鎌倉と決めています。 お正月の混雑を避けるためと、予算の都合で今年の初詣は2月の頭あたりになりそうです。 ...続きを見る

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2008/01/07 23:04
関東管領と鎌倉公方
ふと昨年を振り返ってみると、桜を愛でたという記憶がありません。 桜の名所には行きませんでした。 住んでいる市内の桜も、通勤中に視界に入るだけで、桜並木を歩いたりとかはしていません。 今年はどこかにのんびりと桜見物に行きたいと思いました。 以前に栃木県下都賀郡野木町の満福寺に行った時に、住職らしき人から「桜の季節に来るとすごく綺麗ですよ」と言われたので、できれば行きたいと思いました。 ...続きを見る

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2008/01/03 21:52
639年前の12月30日
行きつけのコンビニの放送で「今日は何があった日でしょう?」みたいなコーナーがあり、「1368年、足利義満が室町幕府第3代将軍になりました」と流していました。 歴史上の人物の中でも足利義満はかなり好きな方ですが、将軍になった日までは知りませんでした。 ...続きを見る

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2007/12/31 13:58
やっと出た
源頼朝の兜と刀が欲しくて「源平絵巻」というコレクションモデルを買っていたのですが、6個購入してやっと頼朝の兜が出てくれました。 このモデルは1個約400円です。 ちょっとお金をつぎ込み過ぎたので、刀は諦めます(^_^;) 全16種類+?と書いてあったのですが、6個買って1種類ダブってしまいました。 ダブった内の1個と頼朝の兜以外は、最近源平にハマっている同僚にあげました。 ...続きを見る

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2007/12/28 18:31
吉保八幡神社
千葉県鴨川市仲町には吉保八幡神社があります。 ここは、829年に淳和天皇に創建されたと言われています。 足利尊氏や安房里見氏の祈願所として栄えました。 ...続きを見る

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2007/12/26 10:31
頼朝が出ない
行きつけのコンビニで「源平絵巻」というコレクションモデルを発見。 源頼朝の兜か刀が欲しいと思って、とりあえず2個買ってみました。 しかし、出たのは平清盛の兜と源義経の刀でした。 二人とも、頼朝と敵対した者です。 ...続きを見る

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2007/12/24 14:39
源義経と鎌倉
職場の同僚の女性が鎌倉に行きたがっていることを、別の同僚から聞きました。 その人は、源義経が好きで鎌倉に興味を持ったらしいです。 しかし、現在の鎌倉には義経に所縁の史跡はほとんど残っておりません。 ...続きを見る

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2007/12/16 13:00
元八幡神社
千葉県南房総市府中は、かつて安房の国府が置かれた地で、府内守護の総社が創祠されました。 安房に落ちてきた源頼朝が立ち寄り、無銘破鏡を奉納して源氏再興を祈願したと伝えられています。 この神社は、鎌倉時代に遷座して鶴谷八幡宮(千葉県館山市八幡)になりました。 府中に残された社は、元八幡神社と呼ばれるようになりました。 安房里見氏の治世には八幡御手洗屋敷と呼ばれ、神主に領地が与えられました。 ...続きを見る

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2007/12/13 23:12
引き篭もり計画
そろそろ清和源氏関係の史跡散策がしたくなってきたのですが、ここのところガソリン代が高騰しているので困りものです。 ここはゲームに集中して、家を出ない方が得策のようです。 出かけなければ買い物で散財することもたぶんありません。 なぜ「たぶん」かと言うと、家にいても、ネットで衝動買いする可能性があるからです(^_^;) ...続きを見る

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2007/12/12 23:49
安房里見氏菩提寺巡り 4
千葉県南房総市本織には安房里見氏の菩提寺の一つの延命寺があります。 延命寺には、安房里見氏4代の里見実堯、6代義堯、7代義弘、10代忠義の長男の利輝、利輝の曾孫の義孝の墓があります。(この記事での累代は延命寺にある説明板での数え方であり、現在の研究では実堯は数えません) 他にも実堯の座像、源氏里見系図、地獄極楽絵図、里見氏や徳川氏の書状等の古文書や宝物があります。 ...続きを見る

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2007/12/10 22:00
安房里見氏菩提寺巡り 3
千葉県南房総市犬掛は、安房里見氏とは深い係わりがあります。 犬掛地区には、かつて大雲院という寺があり、安房里見氏3代の義通と、その嫡男の義豊もここに葬られていました。 犬掛の里は、里見氏の家督争いの内紛の舞台となった地でもあり、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」に登場する八房という犬の誕生地とも言われています。 ...続きを見る

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2007/12/01 14:40
宮本城
千葉県南房総市富浦町大津には、安房里見氏の居城の一つだった宮本城の址があります。 宮本城は、安房里見氏2代の里見成義が居城としていた稲村城(館山市稲)の支城として築いたもので、成義の息子の実堯が初代城主になりました。 ...続きを見る

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2007/11/30 23:59
とみの観音
安房里見氏関係の本を読んでいたら、里見氏に所縁の寺院として「とみの観音(富寺)」という寺が出ていました。 「とみの」と聞くと「機動戦士ガンダム」シリーズの原作者であり、同シリーズで何度も総監督を務めた富野由悠季氏を思い浮かべてしまうのは富野ファンの性です。 さらに「とみの」と「観音」の組み合わせから、富野氏が僧侶役としてゲスト出演した「日本沈没」という2006年に公開された映画が浮かんできてしまいました。 ...続きを見る

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2007/11/29 17:58
八剱八幡神社
10月に車の定期点検で千葉県木更津市にあるディーラーにいったのですが、点検が済むまでの間に市原市八幡の飯香岡八幡宮と木更津市富士見の八剱八幡神社に行ってきました。 ...続きを見る

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2007/11/24 18:49
上総の国府八幡宮
千葉県市原市八幡には、飛鳥時代に創建された飯香岡八幡宮が鎮座しています。 一国一社の国府八幡宮と呼ばれる由緒ある古社で、安産子育ての神として崇敬されています。 ...続きを見る

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2007/11/23 15:21
葵の御紋
以前に知人の墓参りで行った千葉県にある霊園で、一般の人のお墓なのですが、三つ葉葵の御紋の入った墓を見つけたことがあります。 ...続きを見る

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2007/11/22 16:24
再チャレンジ
先週、千葉県館山市畑にある瑞龍院に行こうとして、発見できずに諦めて帰ったことが悔しくて仕方ありませんでした。 今週も、ガソリン代はかかるけど、瑞龍院探しに行ってきました。 ...続きを見る

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2007/11/20 20:58
源頼朝上陸地 2
千葉県安房郡鋸南町竜島には源頼朝が上陸したと言われる地があります。 ...続きを見る

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2007/11/18 14:51

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