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前日の記事の続きです。 新田公旧里碑郷土史家の里見水戸之介が全国の有志を募って1890年に建てた碑です。 新田義貞は、通常は先代の新田朝氏の実子とされますが、里見氏から新田宗家に養子に入ったという説があります。 その伝承が書かれています。 里見水戸之介という人について検索してみたのですが、何もわかりませんでした。 里見氏の一族で水戸藩に仕えた人がいるので、「その人の子孫かな?」と単純に思ってしまいました。 茶聖利休居士太祖之瑩域と書かれた標柱と里見氏歴世供養塔1940年に安房の延命寺(千葉県南房総市本織にある安房里見氏の菩提寺の一つ)と全国の里見氏の子孫の人達によって建立された先祖の供養塔です。 供養塔の前の灯篭には二つ引き両の紋が入っていましたが、光明寺創建時の里見氏は大中黒の紋を使っていたと思われます。 後に子孫が増えると、足利氏に仕えた一族は二つ引き両に変えた家が多かったようです。 安房里見氏も二つ引き両です。 茶聖の千利休もここで供養されています。 千利休は、本名を田中与四郎と言いました。 利休の先祖は、里見氏の一族の田中氏だと伝えられています。 里見氏初代義俊の次男義清が新田の庄田中郷の一部を伝領し田中義清と名乗ったことに始まります。 利休の祖父は、足利将軍家に同朋衆として仕えて千阿弥と名乗っていました。 利休の父の田中与兵衛は、千阿弥に因んで千与兵衛とも名乗っていました。 境内散策中に一般の人のお墓がチラッと目に入ったのですが、里見を名字とする家がいくつかありました。 家紋は大中黒を使っている家と二つ引き両を使っている家がありました。 上野里見氏の子孫の方達のお墓なのでしょうね。 二つ引き両の付いた里見氏の史跡を見慣れた目には、大中黒の里見氏のお墓はちょっと新鮮に感じました。 いかに源氏の子孫かもしれないとはいえ、さすがに一般のお墓を撮影したりはしませんけどね(^_^;) |
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こんにちは♪ |
mikomai 2008/06/02 17:05 |
この記事が1位になるのは、それだけネット上に里見水戸之介の情報がないということですから(^_^;) |
Z31 2008/06/03 14:30 |
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